149/1000 蛎殻町公園(東京都中央区)

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蛎殻町の町名について、中央区のHPによれば「昔は漁師の小網の干し場であり、牡蠣の殻の堆積した海浜であったらしいのですが、町名の由来は明らかではありません。」とされています。
いずれにせよ江戸時代には隅田川最下流に位置する新開の埋立地であり、江戸末期には大名屋敷が並んでいたようです。

その中に久留米藩・有馬家の下屋敷がありました。もともと有馬家では、三田にあった上屋敷内に地元・久留米の久留米水天宮を分社してお祀りしていたのですが、明治になって三田の上屋敷を手放したため、下屋敷が本邸となり、お社も下屋敷に移ってきます。これが現在の水天宮だそうです。
水天宮のHPにはこのように書いてありましたが、最終的にどのようにして屋敷が境内に移り変わったのかはよくわかりません。屋敷を神社にしてしまって、有馬のお殿様はどこに住むことにしたのでしょうか?

さて1873年、その有馬のお殿様の寄付により、水天宮の近くに学校ができます(現在の有馬小学校)。この小学校が関東大震災で被災し、江戸時代には津山藩・松平家の下屋敷であった庭園跡に移転し建て直されます。その際に一緒につくられたのが、震災復興公園としての蛎殻町公園で、1931年の開園となります。

148/1000 若宮公園(東京都墨田区)

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墨田区の下町にある小公園ですが、関東大震災からの復興公園として西隣で道一本挟んだ外手小学校と一体のものとして計画されました。ただし、現在までに小学校も公園も改修されており、小学校側には高いフェンスがあって当初の一体性は失われています(そもそも学校改築に際して公園に仮校舎が置かれ、そこから公園の再整備に至ったということです)。

さて現在の公園は、おおまかに3分割されています。
南側は幼児向けの遊具広場。ポプラなどの樹下に低めの滑り台、ブランコ、砂場、コンクリート製の動物遊具(プレイスカルプチャー)、テーブルベンチ、トイレなどがあります。
砂場と動物遊具
幼児向けの複合遊具(滑り台)

147/1000 桜橋南東児童遊園と桜橋南西児童遊園(東京都中央区)

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No.145で出てきた桜川に架かってた桜橋(現在は川が埋め立てられ、橋も姿を残していませんが)の南詰の両側に児童遊園があります。
今見ると、広い道路の両側に小さな広場がそれぞれあるようにしか見えませんが、どうやらこれはNo.139で出てきた橋詰広場のようです。

南東側は、シーソーとハシゴ遊具、ベンチなどがある小広場です。児童遊園の名に相応しい整備内容ですが、逆に今の周辺市街地の状況の中で、どれほど児童に使われているかは不明です。

146/1000 桜川屋上公園(東京都中央区)

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No.145の桜川公園から保育所と道路を挟んだ東側に、区立女性センター「ブーケ21」という施設があります。
女性センターの玄関の横にいささか薄暗い階段があり、それを上った先の屋上が桜川屋上公園になっています(女性センターの中からも通じています)。
桜川屋上公園(東京都中央区)

あまり広くはないのですが、下をせせらぎの流れる林はなかなか立派に育っており、中央部には大きな池もあります。
桜川屋上公園(東京都中央区)

145/1000 桜川公園(東京都中央区)

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江戸時代に八丁堀と呼ばれていた堀割が、明治になって桜川と改称されました。それが昭和の中頃に埋め立てられた跡の一部を使ってつくられたのが桜川公園です。
桜川公園(東京都中央区)
わかりやすい解説板

堀割跡なので、例によって細長いつくりです。
桜川公園(東京都中央区)
エントランスは最近に改修したようです

桜川ということで、園内にはサクラが多めです。
桜川公園(東京都中央区)

遊具広場はこんな感じで、幼児用です。
桜川公園(東京都中央区)

東隅には健康遊具コーナーもあります。
桜川公園(東京都中央区)

(2012年8月訪問)

144/1000 東日本橋児童遊園(東京都中央区)

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地下鉄・東日本橋駅の近くで見かけた児童遊園。

三方をビルに囲まれた細長い短冊状の敷地で、なにをするにも使いにくそうな雰囲気です。
それなのに、決してゴミが捨てられているでもなく、それなりにきれいに保たれているのは、おそらく近隣住民の皆さんの努力あってのことではないかと思います。

小さいながらもトイレ、ベンチがあり、買い物帰りにちょっと休憩するのなんかに良いかもしれません。
公園全景
手前に見える一人用のイスは横に回転して腰の運動に使えるイスです

(2012年8月訪問)

143/1000 本所松坂町公園(東京都墨田区)

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むかしから講談などでは「本所松坂町」と言えば「吉良上野介」と決まっています。赤穂浪士の皆さんが討ち入りした吉良邸があった場所です。
その町名を冠したこの公園は、非常に小さな公園ではありますが、吉良邸の名残を今に伝えています。

この公園の名前を見る時に私が思うのは、「公園ができた60年くらい前には、人々の意識の中で『本所松坂町=吉良邸』が絶対的に共有されていたんだろうな」ということです。
もともと吉良邸を保存顕彰するためにつくられた公園ですので、今なら「吉良邸跡公園」のような名前にすると思うのですが、それをあえて本所松坂町としてしまったあたりにそれを感じます。もっとも、国会のことを永田町、中央官庁のことを霞ヶ関と呼ぶスノッブの影も感じられますが。

さて、現在の本所松坂町公園。
かつては約8400平米あったという屋敷跡の土地のうち、昭和初期に地元有志が購入した10m四方ほどの角地が当時の東京市に寄附されて公園となったものです。

公園の周囲は白塗りなまこ壁で囲まれていますが、当然これが吉良邸のものだったというわけではありません。
本所松坂町公園(東京都墨田区)
外観ほぼ全景

142/1000 堀留児童公園(東京都中央区)

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江戸時代、このあたりには日本橋川に繋がる二本の入堀(一方が川と繋がり、もう一方が行き止まりの堀)がありました。東堀留川と西堀留川です。
一説によると、どちらも元は本当に川の一部だったものが、江戸時代初期に上流の方で川が付け替えられ、河口部だけを残して埋め立てられたものだそうです。

そんな両堀留川も東京の時代になって水運が衰退してくると徐々に不要のものとなり、先に西堀留川が埋め立てられ、東堀留川も戦災ガレキの埋立で1949年(昭和24年)には姿を消しました。
その東堀留川の行き止まり部分だったところにつくられたのが、堀留児童公園です。

そういう立地ですので、とにかく敷地が細長いのが特徴です。公園の中で100m走ができるくらいの細長さがあります。
また公園北側に区の保健所や保育園が入った高層の複合施設がそびえており、そこに向かってイチョウ並木がビスタを形成しています。
堀留児童公園(東京都中央区)
イチョウが色づく秋には、また違った景観になることでしょう

141/1000 坂本町公園(東京都中央区)

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坂本町公園は1889年(明治22年)に開園した公園で、「東京の市街地で最初に設けられた小公園」とされています。それは、明治政府によって公園設置が進められるようになってからも、しばらくの間は江戸時代からの行楽地や社寺有地などの流れを汲む、いわば「ありもの利用」の公園が多かったのに対して、ここは警視庁関連の病院跡地に公園としてまったく新しく設計されたものだからです。

公園の設計は、東京府(当時)の公園係長であった長岡安平。わが国の公園デザインの先駆者です。
その後の震災、戦災、近年の改修などによって長岡安平が設計した姿はまったく残っていませんが、公園の入口には歴史を語るプレートが置かれています。
“SINCE 1889”が誇らしげなプレート

140/1000 新金橋児童遊園(東京都中央区)

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かつては堀割だった首都高速に架かる新金橋(しんかねばし)のたもとにある橋詰広場。ただし橋に通じる歩道からは一段下りた場所にあるため、あまり橋との一体感は感じられません。
新金橋児童遊園(東京都中央区)
ほぼ全景

児童遊園ということで揺れる動物と低めの滑り台が設置されています。
新金橋児童遊園(東京都中央区)
遊具

139/1000 南高橋の橋詰広場(東京都中央区)

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昔から橋のたもとには小さな空地がありました。
例えば下の図のような位置にあり、色々と呼び名はありますが、土木関係では「橋詰広場」と呼ばれることが多いようです。
橋詰広場

できた理由はよく知りませんが、おそらく今ほどの架橋技術がなかった時代に橋の両端を支える橋台を川側に張り出して少しでも橋を短くしようとしたことや、道と橋が単純に直行しているよりは接続部が斜めにカットされている方が歩きやすいなどの理由でできたものだと考えます。
もともとはそうした必要性に迫られて生まれた空地でしたが、人が集まりやすいことから高札場(お触れ書きを掲示する場所)になったり大道芸人や辻売りが集まったりと、特徴的なオープンスペースとなってきました。

138/1000 御蔵前公園(東京都台東区)

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江戸時代、隅田川沿いには幕府に納められた年貢米が集まる「御蔵(おくら)」という川港付きの倉庫群がありました。ここには集まった年貢米を管理し幕臣に支給する行政機関としての機能もあり、これに関わる奉行や大勢の役人が暮らしていました。
明治新政府になってからも、国庫備蓄米の倉庫・管理事務所として大蔵省の管理下に置かれていましたが、徐々に蔵の数は減り、関東大震災ですべて倒壊しました。
蔵の前にある街道沿いが「蔵前」と呼ばれていたと思いきや、当時は蔵ではなく御蔵なので「御蔵前」と呼ばれていたようで、「蔵前」が正式な町名になったのは昭和になってからのようです。

ということで、かつて御蔵前と呼ばれた地区にあるのが御蔵前公園。2009年度にリニューアルされたばかりの公園です。
ほぼ全景

137/1000 十思公園(東京都中央区)

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十思と書いて「じっし」と読みます。関東大震災からの復興公園で、公園名は他の復興公園の例にもあったように隣接の小学校名からとられたものです。
小学校名が付けられたのは明治初めのなにかと意気軒昂だった時代で、中国の歴史書『資治通鑑』にある「十思之疏(じっしのそ)」という天子がわきまえるべき10の心得と、当時の学区制で第十四小区に属するので「十四」の語と音が通じるところからとられたいうことです。
もう今となっては、真面目なのかダジャレなのかすらわかりません(笑)

公園がある場所は、江戸時代の伝馬町牢屋敷があったところです。No.77の中大江公園で江戸時代の大坂の牢屋であった与左衛門町牢屋について触れましたが、知名度では伝馬町牢屋敷に敵うものではありません。
しかし、牢屋敷が廃止されてから関東大震災が起きるまでの期間はどうなっていたのだろうかと思い調べてみると、明治の頃はいくつかの社寺が並んでいたようです。gooの明治地図には、今も公園の隣にある祖師堂(身延別院)、大安楽寺の名前が見えます。
身延別院のサイトによれば、明治になって牢屋敷が廃止された後、住む人も無く放置されていた跡地に法華の道場を建立して亡霊達を慰めようとした上人・信者の奔走により堂宇が築かれ、錦絵に描かれるほど繁栄したものの、関東大震災で倒壊焼失したとのことです。
十思公園(東京都中央区)
現在の身延別院

136/1000 精華公園(東京都台東区)

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関東大震災からの復興公園として開かれた公園ですが、隣にある小学校が統廃合で精華小学校から蔵前小学校に変わっています。
その後公園にも色々あったのでしょうが、比較的近年の改修で環境学習の要素を取り入れた公園になっています。公園の隣には台東区立の環境学習施設もありますので、それとの連携を考慮したものでしょう。

135/1000 湊第1児童遊園(東京都中央区)

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地上げやら再開発待ちやらで隙間だらけのスカスカタウンになってしまっている湊2丁目と3丁目の間あたりの隅田川沿いにあります。
周囲はバブル期に地上げされまくった挙げ句にバブル崩壊で放置されてから幾星霜、半壊れの長屋と空き地とコイン駐車場がモザイク状に入り混じるという厳しい地区です。

ですので、家と家との間に挟まれたこの児童遊園も、なんだか地上げ跡のように見えてきてしまいます。
遊具はブランコと揺れる動物。隅田川の向こうには再開発で生まれた高層マンション群・佃島リバーシティーが見えます。
全景
川向こうの高層マンションを見上げるペリカン?

134/1000 水谷橋公園(東京都中央区)

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No.133の京橋公園と並んで、銀座1丁目にはもう一つ公園があります。それがこちら、水谷橋公園。首都高速の銀座出口のすぐ横にあります。
東京の市街地では、だいたいは首都高速が通っているところが元の堀割なのですが、ここも公園の北東側に堀割が流れ「水谷橋」が架かっていたようです。

こぢんまりとした園内には、十二支をテーマにしたレリーフの貼り付けられたモニュメント風の柱が並び、トイレも妙に立派です。反面、子供向けの遊具なんかは一切ありません。
広くもない園内にカエデ、サクラ、ヤナギ、キンモクセイなど多くの樹種が植えられ、中央にはバラのアーチも設けられているなど、庭園的な内容になっています。
水谷橋公園(東京都中央区)
ほぼ全景

水谷橋公園(東京都中央区)
二本に一本は公園等の支柱を兼ねた格好いいモニュメント
水谷橋公園(東京都中央区)
妙に立派なトイレ

133/1000 京橋公園(東京都中央区)

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この公園、なにしろ所在地が「東京都中央区銀座1丁目」なのです。
そんな東京ど真ん中にどんな公園があるものかと立ち寄ってみると、思いのほか普通の公園がありました。

じつはここも関東大震災からの復興公園なのですが、隣にあった京橋小学校はすでに廃校となり、低層部が区民プラザ、高層部は区営住宅という高層ビルに建て替えられています。
建物1階はピロティで公園と繋がっています

132/1000 本郷給水所公苑(東京都文京区)

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浄水場や下水処理施設の屋上に公園をつくることはよくありますが、芝生や花壇くらいならともかく、深く根を張る大きな樹木となると土をたくさん載せねばならないので建物の負担になりますし、根があちこちに入り込んで建物を傷めたり、排水が建物に染み込んでいく可能性もありますから管理が大変です。

ここ本郷給水所公苑は1976年の開園ということなので、屋上緑化としてはかなり古株です。技術的にもさほど研究が進んでいなかった時代なので、盛土は厚さ60~140cmと現在の最新の工法に比べると厚めです。

しかし、そこはやはり生き物が相手のものなので、開園から40年近くの年期を経て、地上と遜色ないまでに育った林は見事です。大木というほどにはなっていませんが、周囲が規模の小さなマンションや業務ビルなどの雑然とした市街地なだけに、屋上に上がった時の驚きは「本郷の空中庭園」と呼んで七不思議に数えても良いほどです。
東京ドームから徒歩5分の市街地とは思えません

131/1000 永山公園(東京都青梅市)

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奥多摩の入口にあたる青梅の市街地は、丘陵と多摩川とに挟まれた細長い形をしています。
JR青梅駅の北側、丘陵の突先にあるのが永山公園です。

公園の奥に入っていくと、山の中にハイキング道やキャンプ場もあるようなのですが、私が行ったのは入口にあるグラウンドまで。
けっこう坂道をのぼった山の中にあるのですが、平地には大きな公園が取れない地形のため、ここが市を代表する公園として花火大会や秋祭りの会場になっているようです。
グラウンドの周りや登り道沿いにはサクラやモミジが植えられており、それぞれの季節には美しくなるのではないかと思われます。
グラウンド
グラウンドの片隅には遊具もあります

グラウンドの周りには、まちを代表する古くからの公園らしく、忠魂碑、戦災慰霊塔が並んでいました。
忠魂碑も3m以上ある大きさですが
慰霊塔は10数mの巨大なもの

(2012年6月訪問)

130/1000 久松児童公園(東京都中央区)

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このブログには、これまで関東大震災からの復興に際して小学校とセットでつくられた公園がいくつか登場してきました。この久松児童公園もその一つで(開園当初は久松公園)、現在の中央区立久松(ひさまつ)小学校とセットになる公園です。
しかし、この公園がこれまでに登場した公園と異なるのは、「公園なのに、ほぼ小学校に取り込まれてしまっている」という点です。

129/1000 両国二丁目緑地広場(東京都墨田区)

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JR両国駅を南側に出てすぐ、駅直近マンションのいわゆる開発提供緑地(一定規模以上の開発をおこなう際に、周辺のまちづくりのために敷地の一部を緑地や遊び場として開放・提供するもの)です。
開発提供緑地はそういう出自なので、たいていは道路の一部のように、あるいは建物の外周りの植栽が少し広がっているかのように目立たないものが多いのですが、ここは自己主張が強めです。

相撲タウン両国ということで、デザインは見まごう事なき土俵。
建物敷地の角を丸く切り取った広場に、タイル貼りで二重円が描かれ(二重土俵ではないようです)、中の円には仕切り線、ご丁寧に徳俵まで描かれています。
さらにその周りには屋根柱をイメージさせる石のスツール。現在の国技館では見られないものまで設置されている凝りようです。
ぜひ近隣にお住まいの相撲取りの皆さんも、時々はこの広場で足を止めてもらいたいものです。


(2012年8月訪問)

128/1000 両国公園(東京都墨田区)

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墨田区両国と言えば国技館、そしてあたりには相撲部屋ということになりますが、その地名を冠した公園もちゃんとあります。両国小学校の東隣にある両国公園です。
園内には小学生の書いたポスター専用の掲示板があり、小学校や地域との繋がりが感じられます。
両国公園(東京都墨田区)
小学生の書いたポスター

127/1000 柳北公園(東京都台東区)

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No.125の千代田区和泉公園から300mほど東へ行ったところに柳北公園があります。その間に区界を越えるので、こちらは台東区になります。
公園名の「柳北」は、明治の頃にこの辺りが「浅草向柳原町」と呼ばれていたことに因むのだとは思いますが、先に柳北小学校があり、それが関東大震災後に移転する際に一緒につくられた公園名も柳北公園になったものと思われます。
と言うことで、ここも関東大震災からの復興に際して小学校とセットでつくられた公園の一つですが、南隣にあった柳北小学校の方は統合で2001年に廃校になり、校舎はリセ・フランコ・ジャポネというフランス学校として使用されています。
柳北公園(東京都台東区)
柳北小学校の碑

126/1000 佐久間公園(東京都千代田区)

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No.125の和泉公園の隣にある和泉小学校は、1993年(平成5年)に統廃合で名称変更するまでは佐久間小学校という名前でした。所在地が神田和泉町なのに学校名は隣町の佐久間町がついていた理由は、明治以来佐久間町にあったものが1931年(昭和6年)に国鉄高架線工事で敷地を取られて移転したためです。

そして残った跡地が、いまの佐久間公園になりました。なので公園の入口には、「佐久間小学校跡地」の碑があります。
佐久間公園(東京都千代田区)
佐久間小学校跡地の碑

125/1000 和泉公園(東京都千代田区)

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秋葉原駅から東へ300mほど行った神田和泉町にある公園。最近大がかりなリニューアルがおこなわれた模様です。
西隣は区立の和泉小学校、いずみこども園が建っており、都心ではありますが子供の利用が多い、気持ちのよい公園になっています。

公園南側の歩道に面して「和泉公園誕生の碑」が設置されています。以前は公園の隅の方にあったものを、公園リニューアルにあわせて目立つ場所に移してきたそうです。

124/1000 お玉が池児童遊園(東京都千代田区)

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「神田お玉が池」と言えば、北辰一刀流の千葉周作道場(玄武館)があった場所。
幕末に隆盛を誇った剣術道場で、史実で言えば清河八郎や山岡鉄舟、フィクションで言えば赤胴鈴之助が通った道場です。

私は子供の頃から時代劇が好きだったので「お玉が池」という地名だけは知っており、江戸時代の神田にそういう池があり、その畔に道場が建っていたのだと思っていました。
ところが、どうも江戸時代の初期~中期までは池があったようなのですが、徐々に周囲の都市化が進んで埋め立てられ、江戸後期には、江戸市民の皆さんにもどこに池があったのかはわからなくなっていたようです。
したがって道場が建った幕末には、ただの地域名としての「お玉が池」界隈であったと言うことです。

ですので、このお玉が池児童遊園も本当のところ「池」の跡地にあるのかどうかわからないのですが、花壇の縁取りなんかは、なんとなく池をイメージしているようです。
お玉が池児童遊園(東京都千代田区)
曲線が池っぽい?
お玉が池児童遊園(東京都千代田区)
カエルもいました

お玉が池児童遊園(東京都千代田区)

123/1000 佐久間橋児童遊園(東京都千代田区)

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No.122の秋葉原公園から道路を挟んで南側に、佐久間橋児童遊園があります。
もともとの佐久間橋から南に入った位置で、かつて神田川から秋葉原駅の構内に引き込まれていた水路と神田川との分流部にあたります。

児童遊園とはいうものの、面積400平米のほとんどが舗装され、ビルの裏手を通る抜け道のような扱いになっています。当然、遊具などはなく、あるのは防災船着場、トイレ、そして分煙もされていない青空喫煙スペースです。
「児童遊園」が児童福祉法に定められた名称に基づくものであれば、児童の健康増進や情緒発達に役立てるものとされていますので、ここでの名称と現状の離れ具合は凄まじいものがあると言えます。
公園へ向かう通路
トイレ
地面に線を引いただけの喫煙スペース
防災船着場。こちらの名称は現存する「和泉橋」から取られています
(2012年7月訪問)

122/1000 秋葉原公園(東京都千代田区)

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秋葉原駅の近くを歩いていると、まわりよりも数10cm沈んだ形になっている公園を見つけました。意味もなく沈んだ公園をつくることはありませんから、沈んでいるには理由があります。
秋葉原公園(東京都千代田区)
公園ほぼ全景
この公園が沈んでいる理由は、公園のすぐ南側の歩道に残る、これ。
かつて写真右手の道路は橋で、公園は川だったのです。ですので、埋め立てて公園にする時にも、かつて川だったことを記憶に留めるために、地盤をまわりよりも少し低くしたのではないかと思われます。
秋葉原公園(東京都千代田区)
説明を追加

もっとも、「川」と書いてしまいましたが、ここにあったのは現在の秋葉原駅が貨物駅だった明治~大正の頃に、東北や北関東から鉄道で運んできた荷物を船に積み替えて、神田川を通じて東京市内へと運ぶための堀割だったそうです。

goo地図 で明治時代の東京の地図を見ることができるのですが(上の方のメニューで「古地図(東京)>明治」を選んでください)、これで見ると、神田川から現在の秋葉原駅(明治地図では「日本鉄道会社貨物取扱所」)へ水路が引き込まれているのがよくわかります。
戦後の昭和22年の空撮でも残っていますが、昭和38年になると埋め立てられています。

公園としては、ほぼ広場のみベンチ少々。秋葉原の駅前ということで、買い物に疲れた人たちが集まってきますが、みなさん周囲との段差の部分に腰掛けて休んでいました。
秋葉原公園(東京都千代田区)
秋葉原駅側からはスロープになっています

そして、ここにも公園内喫煙所。利用者が多いので、かなり広めです。
秋葉原公園(東京都千代田区)
大規模喫煙コーナー
(2012年7月訪問)

【2014年3月追記】
久しぶりに前を通りがかったら、大規模な改修工事がおこなわれて段差がなくなり、周囲の道と同じ高さになっていました。もともと公園の両横を通る道が狭かったので、それを解消し道と公園とを一体的に利用できるようにするための改修だと思われます。
これで、かつての水路を偲ばせるものは橋の親柱だけになってしまいます。
また、工事実施の関係もあってでしょうが、本記事中に書いた大規模喫煙コーナーは撤去されていました。この工事のなかでは再整備されておらず、今後復活するのかどうかわかりません。

しかし、木陰や座れる場所がかなり減少しますので、なんとなく集まってボンヤリとする場所、休憩場所としての存在感は一気に薄れることと思われます(申し訳程度に防災目的兼用のかまどスツールが置かれていましたが...)
駅前らしくきれいになったという見方もできますが、秋葉原地区のオープンスペースの現状を見ると上述のような役割は重要だったと思われ、私としてはイマイチな改修だと感じました。