日本1000公園

日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2012年10月31日

180/1000 若狭公園(沖縄県那覇市)

0 件のコメント :
那覇の市街地に近いところで、海岸沿いが港湾施設になっていないところといえば、大きく「波の上」と「若狭」の二ヶ所があります(どちらも所在地では那覇市若狭でひと続きみたいなものですが)。
西側にある波の上には小さいながらも人工砂浜の海水浴場があり、近在の子供たちや、観光帰りの最後の海水浴を楽しむ観光客で賑わっています。

東側にある若狭は、防波堤沿いがプロムナードとして整備されており、都心にもよくある「護岸で固められているけれど開放感のある海岸」といった風情となっています。もっとも、最近すぐそばに高架道路ができたので、以前よりも開放感はなくなりました。
防波堤沿い。さすがに高架が近すぎ

その若狭の海岸沿いに若狭公園があります。
公園そのものは海とつながるようなものではなく、広場やテニスコート、アスレチック遊具などを備え、軽い運動などに適した施設内容となっています。

公園の中心部には野球場仕立ての広場があります。と言っても、あるのはバックネットくらいですので、野球以外にも色々と使えると思います。
青い空と緑の芝生で、のんびり遊ぶには良い場所です。

テニスコートはハードコートが2面。ナイター設備もあります。
海からはいちばん離れた場所にあり、周りに樹も多いので多少の海風は気にせずに使えるのではないかと思います。
下の写真でコート上に落ち葉が散らかっているのは、台風の翌日くらいに行ったからです。

園路沿いには木製のアスレチック遊具が何点か置かれています。
いささか老朽化が進んでいますが、ほかではあまり見ない、個性的な遊具です。

ちょうど訪れた時は植え替えの端境期で花がありませんでしたが、公園入口の花壇が必要以上に南国海岸調で、よほどしっかりした花を植えないと花壇に負けてしまうのではないかと思いました。


(2012年10月訪問)

2012年10月30日

179/1000 夫婦瀬公園(沖縄県那覇市)

0 件のコメント :
18世紀以前は、現在の那覇市街地のかなりの部分が海でした。
いくつかの時代の地図をまとめてくださっているブログがありますが、大雑把に言って国際通りよりも西・北側は海で、後に久茂地川となる狭い海峡(?)を挟んで、現在の久米、若狭、辻などの一帯は「浮島」と呼ばれる島になっていました。そして、こちらの浮島の方にあった港湾地区「那覇泊」こそが那覇の発祥の地で、戦前まではこちら側が町の中心でした。

そういうわけで、若狭の海岸近くにあるこの夫婦瀬(めおとぜ)公園も、もとは海の中に浮かぶ夫婦瀬、方言では「みーとじー」が埋め立てられて陸地になり、公園になった場所です。
もっとも、今となっては周りを団地や住宅に取り囲まれているわけですが。
夫婦瀬公園(沖縄県那覇市)
心の目を研ぎ澄ませば、海の中に岩が浮かんでいるように見えなくもない

2012年10月29日

178/1000 大道南公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
JR寺田町駅を南に出てすぐのところに大道南(だいどうみなみ)公園があります。
駅前すぐということで、公園の外回りには路上駐車や放置自転車などが並びますが、公園内はきれいに管理されており、ちょっとした休憩スポットにもなっています。
ちなみに下の写真で公園の背景に見えるのは、大阪教育大附属高校の天王寺校舎。お笑い芸人・ロザンのお二人の出身校です。
大道南公園(大阪市天王寺区)
公園の南半分を眺める

2012年10月28日

177/1000 城南公園(大阪市中央区)

0 件のコメント :
JR森ノ宮駅から西へすぐ、中央大通からも玉造筋からも少しだけ中に入ったところに城南公園があります。
古くは近鉄バファローズのホームグラウンドだった「日生球場」のセンター方向裏手という表現でも良かったのですが、今は球場がなくなってしまったので場所の説明が多少難しくなっています。

なお大阪市内には城北公園もあるのですが、そちらは旭区の淀川端にある「しろきた公園」、こちらは「じょうなん公園」で、場所もかなり離れています。それも当然で、城南公園の城は大阪城、城北公園の城は中世の榎並城に因むものです(正確には、榎並城に因む旧・城北村のエリアにあるから)。
また大阪城公園の中でも、南外濠の南側、本町通に面した一帯が「城南地区」と呼ばれており、こちらは近いだけに間違えないよう注意が必要かも、です。

公園内は中心に円形の広場を取り、それを弧で区分してパーゴラ、遊具広場、幼児プールを配置するというデザインになっています。なかなか文章ではわかりにくいので、気になる方は所在地の「大阪市中央区森ノ宮中央1丁目20」をグーグルマップの空撮などで確認してみてください。

2012年10月27日

176/1000 玉造公園(大阪市中央区)

0 件のコメント :
賑やかなJR玉造駅から西方の上町台地へほんの5分ほど登って行くと、東向きの緩やかな斜面に大阪カテドラル聖マリア大聖堂大阪女学院大学城星学園などが立ち並ぶ落ち着いた街へ出ます。その街の一角に玉造公園があります。
玉造カトリック教会(大阪カテドラルマリア大聖堂)

児童公園ではあるのですが、周りの雰囲気を多少は反映したのか、よく育った樹木が立ち並び、騒がしいばかりではないところのある公園です。

2012年10月26日

175/1000 東平南公園(大阪市中央区)

2 件のコメント :
No.174の東平北公園とは道一本挟んだ向かい側にあるのが東平南公園。こちらも所在地は中央区東平(とうへい)ではありません。
普通はこんなに隣接した場所に似たような規模の公園はつくらないものですが、東平南は1953年(昭和28年)、東平北は1956年(昭和31年)の開園ですので、古い時期から計画的に配置されたことがうかがわれます。
このあたり、隣接地の高層マンションが建っている区画が、元の市立東平小学校の敷地だったことに関係があるのかも知れません。なお、この学校はNo.166の空堀桃谷公園の場所にあった桃谷小学校などと統廃合されました。

なお、以前はこの公園の記事で「東平南公園は小学校跡地に含まれる」と書いていたのですが、読者の方からそれは違うというご指摘があって資料を確認したところ、間違っているようでしたので記事を修正しました。
下図では「建設中」となっている高層マンションと南側のグラウンド部分が元々の小学校で、東平南公園はその東側の隣接敷地にあたります。グラウンドは公園と繋がっているため公園敷地だと思ったのですが、どうも違うようです。
大阪市提供「マップナビおおさか」から当該箇所を引用
http://www.mapnavi.city.osaka.lg.jp/webgis/index.html

2012年10月25日

174/1000 東平北公園(大阪市中央区)

0 件のコメント :
大阪市内のターミナル駅の一つである大阪上本町駅から北へ3分ほど歩いたところに、東平北公園と、東平南公園という二つの公園があります。
しかし少々ややこしいことに、どちらの公園も所在地は中央区東平(とうへい)ではありません。公園ができた後に町名変更がおこなわれたものと思われます。

そのうち道を挟んで北側にあるのが東平北公園。
公園の西半分は立派なフェニックスを中心とした園地で、戦災復興区画整理の記念碑、岡山県出身で大阪や西宮で暮らした詩人・薄田泣菫の詩碑があります。
東平北公園(大阪市中央区)
フェニックスの樹と復興区画整理の碑
東平北公園(大阪市中央区)
薄田泣菫の詩碑

2012年10月24日

173/1000 東高津公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
近鉄のターミナル駅である大阪上本町駅から北へ徒歩3分、元は寺町、住宅地で、最近は商業業務系のビルが多い東高津町にある公園です。
坂が多い場所のため公園は大きく上下2段に分かれますが、上下とも割合広めの敷地があり、都心部には貴重な公園です。

売り物は、その上下の高低差を活かした砦のような複合遊具。
ただし、遊具そのものの巨大さの割には、実は廊下や階段ばかりが大きく、滑り台はユルめというところが幼児の利用にも配慮しているのではないかと思われます。
東高津公園(大阪市天王寺区)
下段から。最下部の滑り台の角度がユルめです
東高津公園(大阪市天王寺区)
上段から見た方が砦っぽいかも

2012年10月23日

172/1000 小橋公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
ターミナル駅である大阪上本町駅と鶴橋駅との間、どちらからも徒歩5分ほどの場所に小橋公園があります。公園名は地名に拠るもので、小橋と書いて「おばせ」と読みます。
日本書紀には「此の地にあった入江(猪甘津 いかいつ)に注ぐ川に橋を架けたことから」と書かれています。また公園の隣に産湯稲荷神社があり、こちらの御祭神が「大小橋命(おおおばせのみこと)」だということに因むとも言います。
小橋公園(大阪市天王寺区)
こちらが産湯稲荷の起こりの井戸
小橋公園(大阪市天王寺区)
産湯稲荷と公園は通路で繋がっています

それはさておき現在の公園は、やたらと滑り台が充実したものとなっています。

2012年10月22日

171/1000 真田山公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
真田山公園のある場所は、もとは字小橋山といいましたが明治以降いくつか変遷があり、1965年の町名変更以降は真田山町になっています。『角川日本地名大辞典27 大阪府』によれば、「当地のほとんどが真田山公園地であることによる」そうなので、公園が周辺の町名に影響を与えた一例です。

真田山公園(大阪市天王寺区)
内務省大阪実測図(1888) 字名を赤字で強調

1939年に公園が開設される以前、この場所には陸軍の騎兵第四連隊がありましたが1932年に堺に移転しています。移転理由はよく分かりませんが、移転先は現在の金岡公園や警察学校のあるあたりの相当広い場所なので、坂に囲まれたこちらでは敷地が狭くて訓練などがやりにくかったのかも知れません。

2012年10月21日

170/1000 宰相山西公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
No.169の宰相山公園の西側にあるかと思いきや、どう贔屓目に見ても北側にあるのが宰相山西公園です。おそらく旧の字宰相山の区域の西の方にあるのではないかと思われます。
宰相山公園からは三光神社の境内を通り抜けて2分ほどで着きます。

公園の西寄りは花壇を中心とした園地で、おそらく地元の方々が手入れをしていると思われる花々がきれいに咲いていました。
宰相山西公園(大阪市天王寺区)
花壇

2012年10月20日

169/1000 宰相山公園(大阪市天王寺区)

1 件のコメント :
この公園のあたりは、軍記や講談(最近はゲームやマンガ)で知られた真田幸村と大坂冬の陣に因む古戦場なのですが、なにぶん400年も前の話で色々と混乱が起きているようなので、そこを整理する話から。

まず公園名にもなっている宰相山という地名は、明治の地図では字宰相山と記されており、1965年までは宰相山町という町名でした。
これは冬の陣の折に、真田幸村が守る「真田丸」を攻めた越前宰相・松平忠直が陣を置いたという伝承に因むと言われていますが、一緒に攻めた前田利常(前田宰相)の陣だったという説もあります。まぁ要はハッキリしないということです。
宰相山公園(大阪市天王寺区)
内務省大阪実測図(1888) 関連する字名を赤字で強調

2012年10月19日

168/1000 清水谷公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
大阪城の南方にあたるこの谷の界隈では、かつては良水が湧き出ており、秀吉や大坂城代が屋敷を置いて茶の湯を楽しんだと言います。
今は市街化が進んでしまい湧き水は見あたりませんが、この清水谷公園のあたりは地形的に谷底で、さらに崖もあるので、どこからか湧いていそうな雰囲気だけはあります。

公園は大きく2段に分かれ、上段に小規模な休憩園地があり、下段にネットフェンスに囲まれたグラウンドと、その物陰に隠れるようにして遊具広場があります。
グラウンドは子供のボール遊び用ではなく、しっかりしたフェンスを備えた球技用です。
清水谷公園(大阪市天王寺区)
上段の休憩園地
清水谷公園(大阪市天王寺区)
下段のグラウンド入り口

2012年10月18日

167/1000 空清町公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
空清町公園は、所在地でいうと空清町ではなく隣の上本町にあります。

公園が開園したのが1968年で、1981年にこのあたりで町の区域の再編がおこなわれていますので、その時に公園のある場所が空清町から上本町に変わったのではないかと思われます。
そして「空清町」は、てっきり現在もある町名の「空堀町」と「清水谷町」から採られた合成町名かと思っていたら、角川日本地名大辞典によれば空堀町と消滅した「清堀町」から採られたもので、さらに清堀町は明治の頃に「清水谷」と「堀村」から採られたということです。う~ん、わかりにくい。

さて、現在の公園はゆるやかな傾斜地にあり、公園内を大きく2段に分けることで高低差を処理するような格好になっています。
空清町公園(大阪市天王寺区)

2012年10月17日

166/1000 空堀桃谷公園(大阪市中央区)

0 件のコメント :
地下鉄の谷町六丁目駅から少し南に行くと、谷町筋と交差して東西に走る空堀商店街があります。この商店街の周囲は大阪大空襲の被害を受けなかったために戦前からの長屋が残っており、また細かな起伏のある上町台地の地形もあって、細い路地と坂道が入り組んだ独特の風情のある地区になっています。
また「空堀」という地名は、大坂冬の陣の跡に埋め立てられた大坂城惣構堀に因むものということです。
空堀桃谷公園(大阪市中央区)
空堀商店街アーケード

2012年10月16日

165/1000 広小路公園(大阪市中央区)

0 件のコメント :
No.162の難波宮跡公園を南に出て一筋南下したところに広小路公園があります。
公園としては難波宮跡と離れてしまっていますが、ここも宮跡の一部で、公園を整備した際には飛鳥時代の井戸と木簡などが見つかっています。また公園の南側にある市立聴覚特別支援学校の敷地内からは、宮の南門(朱雀門)の遺構が見つかっています。
広小路公園(大阪市中央区)
奥に見えるのが聴覚特別支援学校

2012年10月15日

164/1000 農人町公園(谷四錦郷公園)(大阪市中央区)

0 件のコメント :
大阪の幹線道路である谷町筋と中央大通りが交差する谷町四丁目交差点から少し南西に入ったところに農人町公園(谷四錦郷公園)があります。
もともと公園と、北側に道一本隔てた場所にある南大江保育所のある敷地とは一体のものだったようで、以前は南大江小学校がここにありました。さらに遡れば、江戸時代には大阪の自治的行政組織であった大坂三郷の一つ、南組の惣会所があった場所で、保育所側の道路沿いに両者を記念する石碑が据えられています。

2012年10月14日

163/1000 銅座公園(大阪市中央区)

0 件のコメント :
大阪城の南側、江戸時代には鋳銅や銅取引をする「銅座」のあった場所に銅座公園があります。
銅座には作業場のほかにも役所建物、倉庫などの施設が含まれており、実際の区域は現在の公園よりもずっと広かったようです。
また明治時代には、内務省の薬園が置かれていたようですが、現在の公園にはそうした歴史を記すものはとくにありません。

さて、公園は上町台地上に細かく走る谷筋の一つに面しており、道路からは少し上がったところにあります。
銅座公園(大阪市中央区)
西北側から公園を見る

2012年10月13日

162/1000 難波宮跡公園(大阪市中央区)

0 件のコメント :
大阪城の南側に広がる難波宮跡公園は、飛鳥時代(前期難波宮)、奈良時代(後期難波宮)の二度にわたって宮が置かれた場所を史跡公園にしたものです。
この場所には敗戦までは陸軍の施設が置かれており、この頃は宮跡であることはわかっていませんでした。
戦後まもなく建物の遺物が見つかり、それをきっかけに発掘調査が進んだものの市街地にある一等地だったためにあれこれと開発の手が伸びましたが、なんとか1964年に遺跡の中心部が国史跡として保存されて現在に至っています。

史跡区域の土地が市有化され、史跡整備(史跡公園化)が進められたのは1970年代からです。
ちょうどこの時期は奈良の平城宮跡でも同じような整備が動いており、この二つを通じて、今日でも各地の史跡、とくに都城や官衙跡、寺院跡などで使われる色々な「地下にあって見えない遺跡を地上部で表現するための手法」が開発・普及されていきました。

それは例えば、難波宮跡でいえば、大極殿の基壇部分だけを復原したり、
難波宮跡公園(大阪市中央区)
背景のビルが重なっていますが、手前が大極殿の基壇

2012年10月12日

161/1000 番町二丁目公園(香川県高松市)

0 件のコメント :
高松市の番町は、江戸時代に武家屋敷が並んでいた地区です。
その中にある番町二丁目公園は、小公園ではありますが見るべきものが置かれた特徴ある公園です。
番町二丁目公園(香川県高松市)
公園ほぼ全景

公園は大きく多目的広場と遊具広場とに区切られています。
遊具広場は滑り台、ジャングルジム、シーソーなどがあります。ちょっと面白いのは土管のようなスプリング遊具。揺れながら中を通り抜けて遊ぶようです。
番町二丁目公園(香川県高松市)
遊具広場
番町二丁目公園(香川県高松市)
土管的スプリング遊具

2012年10月11日

160/1000 中央公園(香川県高松市)

0 件のコメント :
ある程度以上の規模の町では、たいてい「町を代表する公園」があります。
それは城下町なら城址公園であったり、新興の町なら郊外の総合公園であったりするわけですが、そういう代表的公園では、記念碑や銅像、記念植樹などの形で「町を代表する事物・できごと」が紹介されていることがあります。

ここ高松市の中央公園は、高松市役所のすぐ横にあり、30年ほど前まで高松市営球場として利用されていたものを1985年に公園として再整備したものです。
ここには高松(および香川県)を代表する事物が詰め込まれすぎて、なかなかすごいことになっています。

2012年10月10日

159/1000 錦町公園(香川県高松市)

0 件のコメント :
JRの高松駅は、高松の中心市街地からはやや離れた場所にあります。
その高松駅に列車が入っていく時に、南側に見えるのが錦町公園です。

県庁所在地・40万都市の駅前にあるとは思えないほどの小さな児童公園ですが、小さいなりにきれいに管理されていて、旅に疲れた体を落ち着かせることもできます。
錦町公園(香川県高松市)
ほぼ全景

施設と呼べるものは、小型の複合遊具、揺れる動物、東屋、水飲み場くらいです。
錦町公園(香川県高松市)
遊具たち

当然の如く、公園からも駅がよく見えます。
訪れた時は、ちょうど香川県の観光キャンペーン中で、高松駅が「さぬきうどん駅」になっていました。
錦町公園(香川県高松市)
「さぬきうどん駅」の駅名表示板

(2012年8月訪問)

2012年10月9日

158/1000 西川緑道公園(岡山市北区)

0 件のコメント :
旭川から取水し岡山市の中心部を北から南へと流れる西川用水の両岸を、緑道として整備したのが西川緑道公園です。

岡山には日本三名園と謳われる後楽園がありますが、現代岡山を代表する公園は、この西川緑道公園だと思います(この時は通りすぎただけだったので、褒めている割に写真が少ないのはご容赦を)。

なにぶん細長いので場所ごとに少しずつ雰囲気は違いますが、水量豊富な用水の両側に様々な樹木が植えられており、市街地に落ち着きを与えてくれています。
西川緑道公園(岡山市北区)

2012年10月8日

157/1000 東中山下公園(岡山市北区)

0 件のコメント :
岡山駅の近くに、路面電車が分岐する「柳川」という大きな交差点があります。あたりはビジネス街、繁華街になっており、その交差点から東南側に一筋だけ中に入ったところにある小公園が東中山下公園です。

訪れた時にまず思ったのは、「どこが町名?そして、なんと読むのか? ①ひがし・なかやました、②ひがしなか・やました、③ひがしなかやま・しも」。調べてみたらどれも間違いで、答えは中山下が町名で、おまけに読み方は「ひがし・なかさんげ」でした。

岡山市の公式な公園名は「東中山下公園」なのですが、園内には公園愛護会により「中山下 児童文化公園」と書かれた標柱が建てられています。また、その横にある竣工記念碑には「中山下児童公園」と記されており、どうも開園初期の段階では名称・通称・愛称などが入り乱れていたようです。
東中山下公園(岡山市北区)
でもまぁ「児童文化公園」が一番目立っているでしょうか
東中山下公園(岡山市北区)
オフィシャル名称の看板は目立たないことこの上なし

2012年10月7日

156/1000 東田町公園(岡山市北区)

0 件のコメント :
岡山市の中心部、大通りから一筋中に入って飲食店や雑居ビルなどの多い地区にある小公園です。
資料を見ていると、以前は大型の複合遊具があったようですが、訪れた年の3月に撤去されてしまっています(撤去費用は37万円)。

おそらくは老朽化が原因で撤去されたのだと思いますが、大型遊具がなくなった現在の公園は、遊び場というよりは近くで働く人たちの休憩場所といった色合いになっています。
東田町公園(岡山市北区)
ほぼ全景

2012年10月6日

155/1000 下石井公園(岡山市北区)

0 件のコメント :
下石井公園は岡山駅にもほど近い繁華街に隣接する小公園です。
紛らわしいのは、所在地は岡山市北区幸町なのですが、その幸町の西隣に下石井という町名もあることです(旧ハヤシバラの駐車場からイトーヨーカドーがあるあたりまでが下石井です)。

資料によれば1964年に旧・下石井のほぼ東半分が幸町、錦町、柳町などに町名変更されており、その後1969年にほぼ西半分が下石井一丁目、二丁目に変更されています。下石井公園の最初の開園は1960年ですので、その頃にはまだ下石井に含まれていたということのようです。

さて現在の公園は、隣接していた出石(いずし)小学校が廃校になった跡に公共施設などが整備された際に拡張再整備されたものです(この時の事業手法も面白いので、専門の方は岡山市のHPでご覧ください)。
まず特徴的なのは、学校跡の半分くらいを使って建てられた高層住宅&老人ホーム&スポーツクラブの駐車場(正確にはここは公園区域外)が階段状に屋上緑化されており、「里丘」と名付けられて公園全体を見渡す丘になっている点です。正直なところ公園を使う上での一体性はさほどあるようには思えませんが、見た目の広がりが全然違います。
下石井公園(岡山市北区)
里丘の屋上緑化
下石井公園(岡山市北区)
里丘から公園の広場方向を見る

2012年10月5日

154/1000 下田町公園(岡山市北区)

0 件のコメント :
岡山市の中心街にある小公園です。
所在地は北区中央町になるのですが、公園名は町名変更前の「下田町」を残しています。

大きめの広場を中心に、遊具広場、トイレ、謎の円形広場などがあります。また公園の一隅に「冠正稲荷大明王」が祀られています。
下田町公園(岡山市北区)
公園の概観

2012年10月4日

153/1000 大供公園(岡山市北区)

0 件のコメント :
大供(だいく)公園は、岡山市役所のすぐ隣にある公園です。
そういう立地なのでイベントに使われることも多いようで、訪れた日も週末のイベントに向けて準備中でした。
大供公園(岡山市北区)
市役所側はレンガ舗装で歩道と一体化させています
大供公園(岡山市北区)
パーゴラも大きくて立派

2012年10月3日

152/1000 楓川新富橋公園(東京都中央区)

1 件のコメント :
この公園、なにかと謎が多く、情報を整理しづらい公園です。

1)まず少々読みにくい公園名は「もみじがわしんとみばし」と読みます。
「楓」と書いて「もみじ」と読ませることは構いませんが、江戸時代にはもう一つ「紅葉川(もみじがわ)」というのもすぐ近くにあったそうで、紛らわしい限りです。

2)楓川は江戸時代につくられた堀割で、1964年に埋め立てられて首都高速になりました。
でも、江戸末~明治の地図によれば、この橋のやや北側までが楓川で、現在の橋があるあたりは陸地になっています。どうも首都高速を造る時に楓川と築地川を使おうとして、その間にあった陸地を200~300mほど掘ったような気がします。
はっきりとはわかりませんが、「楓川新富橋」とは言うものの、この橋の下はただの首都高速で楓川は通っていなかったのではないでしょうか?

2012年10月2日

151/1000 鉄砲洲児童公園(東京都中央区)

0 件のコメント :
今も「入船」「湊」など往事の姿を偲ばせる町名が並ぶ隅田川沿いの一角は、かつては鉄砲洲と呼ばれていました。鐵砲洲稲荷神社のページによれば、この社が遷座してきたのが1624年ということですので、この頃には「洲」とは言いながらも稲荷神社をお祀りするだけの人が住み働く港町になっていたと思われます。

明治・大正になっても順調に都市化が進んできましたが、関東大震災で壊滅的な被害を受けます。そこからの復興区画整理により、稲荷社、公園、小学校が道を挟んで並ぶ現在の姿の原形が整います。

さて現在の公園です。
まず台形状の敷地の中心部に、サクラやモミジに囲まれた円形の多目的広場があります。昭和の中頃に改修された時には、この部分に山遊具が置かれたという話なので、近年の再改修の際に撤去されたものと思われます。
円形広場を基本とするデザインは開設当初のものの踏襲でしょうか

2012年10月1日

150/1000 越前堀児童公園(東京都中央区)

0 件のコメント :
江戸時代、このあたりは川や堀割に囲まれた島状の土地になっており、そこにあった寺の名に因んで霊岸島と呼ばれていました。
一方で、寺の南方には越前福井藩・松平家の中屋敷(浜屋敷)がありました。
やがて火災にあった寺は移転しましたが霊岸島の名は残り、また松平家の周囲に掘られた舟入堀は「越前堀」と呼ばれてこれも地名となりました。明治・大正には海運・商業の町として栄えますが、関東大震災によって壊滅します。
その後に区画整理がおこなわれ、1930年に越前堀公園が誕生します(それに先立つ1927年に、道一本挟んで隣接する明正小学校が開校しています)。

公園正面には、開園当初のものと思われる名板を現在の公園名板とともにはめ込んだ碑があります。開園当初のものには「東京市 越前堀公園」「昭和五年五月」と記されています。
その横には越前堀跡の解説板。奥まった位置にあり、植え込みの中に踏み込んでいかねば読めません。
元は越前堀公園、現在は越前堀児童公園です