日本1000公園

日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2012年11月30日

ウマ型14~揺れる動物

0 件のコメント :
揺れる動物の原点である「木馬」を踏襲したウマ型グループ。久しぶりの新顔登場です。
頭絡や手綱、色鮮やかな鞍を付けているあたりから、競走馬ではないかと思われます。
揺れる動物(ウマ型14)

2012年11月29日

ラッコ型3~揺れる動物

0 件のコメント :
これまでに登場したラッコ型1ラッコ型2の揺れる動物がいずれもデフォルメされた顔立ちだったのに対して、これはかなりラッコ顔です。
胸の部分にはしっかりと貝を抱いており、うっかり手を置いたら叩かれそうです。
揺れる動物(ラッコ型3)




2012年11月28日

パンダ型7~揺れる動物

0 件のコメント :
子供の人気者・パンダ。

ボディは細めなのですが、顔や手足がパンダ特有の丸っこさを上手に表現しています。両耳を輪っか状の持ち手にしたデザインも優れものです。
しかし、パンダ型4とはデザインの勘所が異なるにも関わらず、どこか犬っぽさが伝わってくる気がします。


2012年11月27日

パンダ型6~揺れる動物

0 件のコメント :
子供の人気者・パンダ。

お尻をついて座っているパンダの足の上に座るというデザインになっています。パンダと顔を見合わせながら遊ぶというのもなかなか乙なものです。
がしかし、肝心の顔が表情に乏しく、どこを見ているのかわからないボンヤリした目、下向き三角▼を描いただけの鼻という寂しさです。
「本当のパンダって、意外にこんな感じでボンヤリした顔だよ」という声もあろうかと思いますが、「人形は顔がいのち」という言葉もありますので、もう少し気を使って欲しいところです。


2012年11月26日

トラ型3~揺れる動物

0 件のコメント :
小ぶりの可愛らしいトラ。
目の上の縞模様がつけまつげのようです。


2012年11月25日

リス型4~揺れる動物

0 件のコメント :
FRP製の大柄ボディのリス。
木の枝の上に立ち上がっている格好のため、かなり上背が感じられます。揺れる動物としてもかなり大きめでしょう。
しっぽの付け根に座るのですが、小さな子供だとまったく前が見えなくなるのではないかと思われるほどの立ち上がりです。
揺れる動物(リス型4)


2012年11月24日

トラ型2~揺れる動物

0 件のコメント :
FRP製の愛らしいトラ。ボディが大ぶりで、存在感があります。
髭の毛穴が目立ちますが、髭は生えていません。


2012年11月23日

サイ型1~揺れる動物

0 件のコメント :
恐竜にも見えなくはないのですが、角が1本だけの角竜であまり有名なのはいないので、おそらくサイだと思います。

サイには、アフリカに住むクロサイシロサイなど角が2本のものと、インドサイジャワサイのように角が1本のものがあります。これは角が1本なのでインドサイでしょう。
ただし、ボディは平板で、インドサイの特徴である皮膚のデコボコまでは表現されていません。

2012年11月22日

シャチ型2~揺れる動物

0 件のコメント :
青いボディでイルカ型6によく似ていますが、くちばし部分がとがっておらず、また目の後ろの白い斑紋、体下半分の白さなどからシャチだとわかります。
ただしボディの後ろ半分はイルカ型6と共通のように見えます。
揺れる動物(シャチ型2)

2012年11月21日

シャチ型1~揺れる動物

0 件のコメント :
イルカ型7の色違い。ボディの形状はイルカなのですが、目の上の斑紋など着色は明らかにシャチなので初のシャチ型揺れる動物として分類。
シャチもショーの時はこんな風に体を曲げて飛んでいます。
揺れる動物(シャチ型1)


2012年11月20日

200/1000 田原坂公園(熊本市北区)

0 件のコメント :
田原坂公園は、西南戦争の激戦地として知られる田原坂の頂上付近を公園にしたものです。以前は植木町でしたが、合併で現在は熊本市北区にあります。

この田原坂、戦跡として名前は知れ渡っていますが、今まで国史跡にはなっていませんでした(そもそも明治のものが国史跡になること自体がまだ多くないのですが)。しかし、地元関係者の皆さんの発掘調査・文献調査等々の努力が実り、今年(2012年・平成24年)11月の文化審議会で、周辺の関連遺跡とともに「西南戦争遺跡」として国史跡に指定するように答申が出されました。

しかしながら城跡や集落跡などとは異なり、あくまで一過性の戦闘の場であった戦跡には、今ひとつ「誰が見てもパッとわかる」ものがあまり残されていないのも事実です。田原坂公園も、そこにあるのは慰霊碑であり、移設されてきた弾痕の残る家であり、資料館でありといったところで、そこへ行けば田原坂の攻防戦の状況が飲み込めるというものでもありません(地形はすごくよく残っているのですが)。

 そこで史跡指定に先立つ10月に、田原坂を含めた周辺の関連史跡を巡るウォーキング大会が開催されました。田原坂を攻めた官軍側の陣地跡や本営跡、負傷者を治療した救護所、亡くなった方を葬った墓地・慰霊碑などを、発掘調査にも携わった専門家の案内を受けながら巡り、史跡への理解を深めようというものです。これに参加してきました。

道中は色々あったのですがそれは省略して、田原坂公園。
一番目立つのは慰霊塔。官軍、薩軍双方の戦没者の名前が刻まれています。資料が不足していて名前が漏れている方もいらっしゃる思われますが、資料が出てくれば順次追加されることでしょう。

慰霊塔のほかにも、慰霊碑、祈念碑の類が並びます。

シンボルツリー的な位置づけの大楠。いわゆる戦闘の生き証人です。
足下には美少年の像。戦を歌った民謡『田原坂』の歌詞「雨は降る降る人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂 右手に血刀左手に手綱 馬上豊かな美少年」にちなむものです。

こちらが弾痕の残る家。戦争は勇ましいものですが、近隣住民は家は焼かれる弾は撃ち込まれる、徴用されて荷物運びのあげくに流れ弾で死んでしまうのですからやりきれません。

資料館は現在建て替え中。建て替え予定地でも発掘調査がおこなわれている模様でした。

こちらが田原坂に向けて官軍が登ってきた坂道。ただしこの写真は、田原坂から見下ろした薩軍目線になっています。

おまけ。西郷さん。

文化庁報道発表 平成24年11月16日 史跡等の指定等について 

(2012年10月訪問)

2012年11月19日

199/1000 千歳児童遊園(西宮市千歳町)

1 件のコメント :
千歳児童遊園は、夙川にほど近い古くからの住宅地の中にある200平米ほどの小さな公園です。これと言って特徴はないのですが、たまたま立ち寄った折に初めて見るものを見つけました。

それは「樹の中からミミズ

公園にポプラの樹があり、胸高くらいの樹皮に幅1~2センチほど、長さ5センチほどの穴が空いていました。
カミキリムシが空けた穴だろうと思い、「幼虫でも出てこないかな~」と細枝でほじくっていると、木屑とともに顔を出したのは体長5センチほどのミミズではありませんか。
ミミズの種類まではわかりませんが、いくらなんでも自分で樹皮に穴を空けたとは思えないので、やはりカミキリムシなどの幼虫が巣立った後、樹皮下のコルク層がボロボロの木屑状になった部分に入り込んでいたものと思われます。

2012年11月18日

198/1000 新屋敷公園(沖縄県那覇市)

1 件のコメント :
新屋敷公園は、那覇市泊の住宅地にある小公園です。
三方を建物に囲まれていますが、道路に面している間口が広く奥行きが短いので、それほど閉鎖的な印象は受けません。
曲がりくねってあまり樹形の良くないガジュマルの樹が何本かあり、その木陰にブランコ、滑り台、ジャングルジム、シーソー、鉄棒などの遊具があります。

2012年11月17日

197/1000 とまり緑地(沖縄県那覇市)

0 件のコメント :
那覇市の泊(とまり)は、浦添に本拠を置いた中山王国、さらに沖縄本島を統一した琉球王国が港を整備した場所です。後に琉球王国が中継貿易で栄え、中国や日本、東南アジアとの外国貿易が盛んになると泊の南に那覇港が拡大され、外国航路の大型船は那覇港、国内航路の小型船は泊港を使うようになったと聞きます。
今でも、沖縄本島に近い離島航路(渡嘉敷、粟国、久米、南北大東など)は泊港から出発しています。
この泊港の埠頭が平成の初め頃に再開発されて、「とまりん」というターミナルビルが建ちました。その時に隣に整備されたのが「とまり緑地」です。
とまり緑地(沖縄県那覇市)

2012年11月16日

196/1000 清水公園(兵庫県芦屋市)

0 件のコメント :
芦屋市の西部、JRと国道2号線とに挟まれた清水町は、阪神・淡路大震災で被害の大きかった地区の一つです。No.195の前田公園がある前田町などとともに復興区画整理事業がおこなわれ、コミュニティ道路や多くの公園を持つ新しい町に生まれ変わりました。
その中にある清水公園は、かつてあった川の流れをイメージとして再現した人工の流れが住宅地の中を貫き、流れに沿って小さな園地が連なるという面白い形になっています。と、文章で書いても分かりにくいので、googleマップで見てください。


2012年11月15日

195/1000 前田公園(兵庫県芦屋市)

0 件のコメント :
前田公園は阪神・淡路大震災で全壊した邸宅跡地を芦屋市が購入し、復興区画整理事業の一環として住民の意見を集めながら整備したもので、2002年に開園した比較的新しい公園です。邸宅にあった井戸、石塔、樹木、流れなどを活かした和風デザインとし、また「石の公園」というテーマで遊具も石造モニュメント風のものとしています。
また公園の周囲には歩行者の安全件や快適性を考慮に入れたコミュニティ道路が整備されており、そこと公園とを一体的に行き来できるようなデザインになっています。

2012年11月14日

194/1000 おおたにわかくさ公園(兵庫県西宮市)

0 件のコメント :
西宮市大谷町に、以前はなにかの社宅があった場所に新しいマンションができ、そのマンションの前に「おおたにわかくさ公園」ができました。まだ新しいためか西宮市役所の資料にも出ていませんが、立派な園名板がありました。
園名板は平仮名だったのでブログのタイトル名もそれに合わせていますが、西宮市では子供向けに公園内の掲示は平仮名にしているので、本当は「大谷若草公園」なのかも知れません。
おおたにわかくさ公園(兵庫県西宮市)

2012年11月13日

193/1000 福井池公園(神戸市東灘区)

0 件のコメント :
No.191の中之町公園の東を流れる天上川に沿って南に下がり、国道2号線を渡って少し行ったところに福井池公園があります。この福井池公園のある場所から南側は旧・本庄村になります。

ちなみに公園名の由来となったのはこの場所にあった溜池の名前ですが、100mほど東へ行ったところにある小学校の名前は福池小学校です。
「福井池」と「福池」、よく似た名前なので、なんとなく「福池または福井池と呼ばれた池があった(同じ池に二つの名前があった、もしくは綴りは違うがどちらも「ふくいけ」と読む)ところを埋め立てて小学校や公園を作った」と考えていたのですが、国土変遷アーカイブに出ている1948年の航空写真では、大小二つ別々の池が確認できます。さらに遡って『日本図誌大系 近畿Ⅰ』に出ている1886年の測量図では、どちらの池ももっと大きく、真ん中の堤ひとつで隔てられるだけで隣接しています。もしかすると、それ以前は二つの池が繋がった大きな池があったのかも知れませんが、とりあえず今のところは福井池と福池は別物と判断しておきます。

さて、現在の福井池公園は、天上川や工場に囲まれた変形の敷地を使い、フェンスのある球技広場を中央に、両翼に遊具広場と地区集会所を置く構造になっています。
遊具広場は、山遊具を中心に置き、まだ新しい複合遊具、揺れる動物などが脇を固めています。
福井池公園(神戸市東灘区)

2012年11月12日

192/1000 中野南公園(神戸市東灘区)

0 件のコメント :
中野南公園の所在地は東灘区本山南町ですが、かつては旧・本山村の字中野でした。字中野と西隣の字小路の境界が要玄寺川で、中野南公園は要玄寺川沿いにあります。

公園は東側にフェンスがのある球技広場を取ってあり、さらに広場の周りにはウォーキングなどに使える距離表示つきの周回園路、地区集会所の周りには健康遊具があって、身近な公園ですがややスポーツよりの施設が整っています。
中野南公園(神戸市東灘区)

2012年11月11日

191/1000 中之町公園(神戸市東灘区)

1 件のコメント :
東灘区の住吉川の東側、山沿いが旧・本山村、浜沿いが旧・魚崎町、本庄村です。
もともと神戸と大阪の間にあって交通の便がよく、酒造業やら農漁業やらで経済的にも強かったので独立した地域でしたが、1950年に神戸市に編入されました。
その本山村の字田中は、小字では「平田」「米田」「久保田」「五反田」「六反田」「高田」「上高田」「下高田」等々、「どんだけ田んぼの中やねん!」とツッコミを入れたくなるような地区ですが、そこで唯一「中ノ町」という都会的な響きを持つ小字(と言っても多少家が集まっていた程度でしょうが)に、現在の中之町公園はあります。

もっとも、今は近所も家ばかりになってしまい、阪神・淡路大震災後はマンションもずいぶんと増えたので、周りと比べてどのような違いがあったのかはよくわかりません。
公園としても、そこそこ面積があって隣に地区公民館があるほかには、取り立てて目立つところはありません。
敷地の東側に、割合新しい複合遊具とタイヤブランコ、東屋などが、敷地の南側にはブランコや滑り台、砂場があり、残ったところが広場です。
中之町公園(神戸市東灘区)
中之町公園(神戸市東灘区)

2012年11月10日

190/1000 愛・地球博記念公園(モリコロパーク)(愛知県長久手市)

0 件のコメント :
愛・地球博記念公園は、その名の通り2005年に開かれた愛知万博(愛・地球博)の会場を利用した県営の公園です。
と言っても、万博以前には同じ場所に愛知青少年公園という公園があり、これと周囲の山とをあわせて万博会場(長久手会場)として利用した後、名前を変えて再整備・再開園したのが現在の公園です。
万博に行った方は覚えておられるかも知れませんが、公園としては相当広いし、相当起伏に富んでいます。公園中を巡るのは大変なので、園内を無料バスが走っています。

リニモの駅から公園に入ると、まず目に飛びこんでくるのが地球市民交流センターの白いドームと屋上緑化。公園運営を支えるNPOやボランティアの皆さんの活動拠点です。

建物の中には、工作室や幼児遊び場など色々な体験活動に使える部屋が並んでいます。

万博当時はセンターゾーンとしてイベント広場や日本政府館があったあたりは、今は大芝生広場と花畑になっています。 これはこれで気持ちの良い空間なのですが、もう少し公園の集客力を高めるために、野外コンサート用の常設ステージを作ろうという動きがあるようです。
 
この広場の横に、大型の温水プールとアイススケート場をあわせた建物もあります。浅田真央安藤美姫は名古屋出身ということでフィギュアスケート熱が高いのか、温水プールは夏だけ営業なのにスケート場は通年営業だそうです。

南の森の方には、万博当時に迎賓館として使われた茶室や日本庭園がそのまま残っています。
その折には各国首脳が休んだようですが、今は誰でも入ることができます。

森の中には遊歩道が縦横に通っていますが、必要以上に森を踏み荒らさないように木製デッキ構造になっているところもけっこうあります。
また、万博時に人気を集めた「サツキとメイの家」がそのままあるのですが、今も有料・定員・時間制のため、タイミングが合わずに見学できませんでした。 井の頭恩賜公園の「三鷹の森ジブリ美術館」といい、どうにもジブリには縁がありません。

西の方で万博時には遊園地だったところは、今も観覧車などの遊具が営業中です。また有料の大型児童館「愛知県児童総合センター」もあります。

ほかにも無料の遊具、謎の動物(触れないし乗れないので遊具とも言いづらいですが)、あまりにも楽しそうな巨大水遊び場などがあり、また大小のイベントも盛んなので、子供さんは一日あっても遊びきれないと思います。

公園のオフィシャルページ
愛知万博のことを忘れてしまった方はこちら 

(2012年8月訪問)

2012年11月9日

189/1000 扇町公園(大阪市北区)

0 件のコメント :
扇町公園は、JR天満駅、地下鉄扇町駅、北区役所などに近接し、大阪市街地の代表的な公園のひとつです。梅田の繁華街からも遠くないため、色々なイベントもよくおこなわれています。
また、市街地の公園にしては遊具が充実しており、いつも多くの子供たちで賑わっています。


さて、江戸時代の大坂は、行政的に南・北・天満の三郷に分けられていました。このうち、当時の淀川(現在の大川)の北側の地域が天満です。
天満の市街地には、舟運のため淀川から堀割が引き込まれていました。これが天満堀川で、現在の阪神高速守口線はほぼこの線上を通っています。
『初代長谷川貞信が描いた幕末・明治の大阪』より1863年の天満界隈

2012年11月8日

188/1000 安田城跡歴史の広場(富山県富山市)

0 件のコメント :
富山市の西部、旧・婦中町にある安田城跡(国史跡)は、公園という名前はついていませんが文化財保存のための環境整備事業(復元、広場、展示施設等の整備)がおこなわれており、一般的な言葉でいうところの歴史公園、史跡公園として公開されています。

お城や城跡そのものについては富山市埋蔵文化財センターのページなどで見ていただければと思いますが、16世紀末頃の平城の形をよく残しており、土塁とすぐ近くを流れる川から引き込んだ水堀が特徴的な城跡です。
形状は、現地でもらったリーフレットに出ている空撮の方がよく分かりますので引用。
安田城跡歴史の広場(富山県富山市)

2012年11月7日

187/1000 富山南総合公園(富山県富山市)

0 件のコメント :
富山南総合公園は、No.186のとやま健康パークに隣接する富山市の公園です。
ここから1キロほど離れたところには富山県立の総合運動公園、空港スポーツ緑地もあり、わりあい規模の大きな公園が集まっているエリアとなっています。

「大きな公園が集まっている」のは使う側にとっては良いことかも知れませんが、つくる側、管理する側にとっては近くの公園というのは競合相手ですので、それぞれ個性を打ち出してユーザーに訴えかけねばなりません。
そこで富山市南総合公園は、どうやら芝生広場の量と質で勝負しているようです(現場を見ただけの感想でものを言っていますが)。

天然芝の多目的広場は、サッカー場ならば十分に2面取れるだけの広さがあり、実際に2面分のラインが引かれています。
また訪れた日は暑かったので歩いて行きませんでしたが、写真の中で広場の向こうには屋根付きの観客席も見えています。
富山市南総合公園(富山県富山市)

2012年11月6日

186/1000 とやま健康パーク(富山県富山市)

0 件のコメント :
とやま健康パークは、いわゆる公園としてのパークではなく、プールやジム、子供が遊びながら学ぶ生命科学館(という名の屋内遊び場)、イタイイタイ病資料館などを備えた健康福祉系の施設である「富山県国際健康プラザ」の愛称ということになっています。
施設全体としては、地方部にありがちな総体としてはイマイチまとまりのない箱物で、どのあたりが国際なのかはよく分かりませんでした。
とやま健康パーク(富山県富山市)
生命科学館

2012年11月5日

185/1000 庚申堂公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
庚申堂公園は、その名のとおり四天王寺庚申堂の北隣にある公園です。
四天王寺庚申堂は、その名のとおり四天王寺の堂宇の一つで、ちゃんと四天王寺のサイトの「境内案内」にも紹介されているのですが、なにぶん南大門の外側にあるため、やや街なかに埋もれてしまっています。
庚申堂公園(大阪市天王寺区)

さて本題の庚申堂公園ですが、じつはこの公園は夕方5時を過ぎると閉鎖されるということで、訪れた時にはすでに閉まっていました。したがって、公園内には入らずに外から眺めただけです。

2012年11月4日

184/1000 稲生公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
稲生公園は、すぐ隣に河堀稲生(こぼれいなり)神社があるのでこういう名前だと思うのですが、公園名は「いなお」と読みます。
ちなみに河堀稲生は、No.183で登場した久保神社と同じく四天王寺七宮の一つだということなのですが、河堀稲生の由緒には「四天王寺七宮」、久保神社の由緒には「天王寺七宮」と書かれていました。きっとどちらでも大差ないのでしょうが、多少気になります。
稲生公園(大阪市天王寺区)

2012年11月3日

183/1000 寺田町公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
寺田町公園は、公園内の大半が野球場になる多目的広場に占められており、外野フェンスの裏側にちょっとだけ小さな広場や遊具がある公園です。
寺田町公園(大阪市天王寺区)

しかし公園全体でいちばん印象に残るのは、仮称「タイヤの丘」の会談スペースでしょう。
寺田町公園(大阪市天王寺区)

色とりどりの古タイヤに囲まれた丘の頂上には、これまたカラフルなイス。ほかの公園ではあまり見かけない一人用のイスが5脚、円形に並んでいます。

2012年11月2日

182/1000 国分公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
奈良時代に全国の国ごとに建てられた国分寺・国分尼寺ですが、国によっては文献や遺構から所在地がはっきりしているもの、発掘調査で伽藍配置まで分かっているところもあります。がしかし、摂津国においては、所在地も今ひとつよく分かっていません。
じつはNo.177の城南公園で登場した「国分」という地名は国府ではなく国分寺に因むものだという説もありますし、淀川右岸のズバリ「国分寺」という町にあったという説もあります。ただし、大阪市教育委員会が有力と考えているのは、この国分公園の一帯であるということです。
とは言え、現在の公園には石碑と案内板のほかには、とくに国分寺跡に因むものはありません。
国分公園(大阪市天王寺区)

2012年11月1日

181/1000 大道北公園(大阪市天王寺区)

0 件のコメント :
公園名は「だいどうきた」と読みます。
じつは大阪市内には「大道」と書いて「だいどう」と読む町名が、天王寺区のほかに東淀川区にもあります。それだけならよくある話ですが、どちらの町にもそれぞれ「大道北公園」「大道南公園」があるというのが困りものです。
東淀川区の両公園には行ったことがないので、そのうち機会があれば訪れてみたいと思います。

と言うことで、天王寺区の大道北公園。JR寺田町駅のすぐ近く、業務ビルとマンションが入り混じった街なかにある小さな公園です。
大道北公園(大阪市天王寺区)