208/1000 虎瀬公園(沖縄県那覇市)

2012/12/14

沖縄県 身近な公園 那覇市

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虎瀬(とらせ)公園は、琉球王国時代に王家の別邸が建てられていたという虎瀬山の山頂部を公園にしたものです。山の名前の由来は、首里城から見ると頂上の岩石が虎の頭に見えたからと言いますが、現在の山頂にはそれらしき岩は見あたりません。

別邸があったということだけ聞くと首里城から遠く離れた場所のようにも思えますが、両者の距離は直線で800mほど。首里城下町の範囲に含まれており、山裾の方には屋敷や寺院が築かれていたようです。
しかし、沖縄の風水思想から、この山は首里城を守る上で重要な神聖ポイントとして捉えられていたそうで、山稜には松林を保つように指示が出されていたと言います。単に景色が良いだけで王家直轄にはならないということでしょう。

さて、現在の虎瀬公園。山の名前は「とぅらじ」「とらじ」と発音するようですが、公園名は「とらせ」です。
山とは言いますが、現在は周囲がすっかり開発されているため、モノレールが上空を通る赤平大通りという大きな坂道から、さらに坂道をちょっと入ったところにあります。

坂道を上っていくと、公園の東南側の入口に着きます。園内は城の郭のような感じで小さな平地が段状に連なっていますが、これが王家の別邸時代の名残なのか、単なる造成なのかはさっぱりわかりません。

虎瀬公園(沖縄県那覇市)

山頂部はこんな感じ。休憩所のほかに、小さな拝所のようなものがあります。

虎瀬公園(沖縄県那覇市)

山頂部の周囲はあまり樹が茂っていないため、首里城の方向も、那覇港の方向もわりとよく見えます。

虎瀬公園(沖縄県那覇市)

ただし首里城方向の写真はけっこうズームを効かせています。

虎瀬公園(沖縄県那覇市)

公園の西側の登り口には、小さな遊具広場があります。

虎瀬公園(沖縄県那覇市)

目立つ遊具は斜面を利用した滑り台くらいなのですが、きれいなタイル画があったり、小まめに手入れされている雰囲気があったりと、近隣の皆さんに愛されている様子です。

虎瀬公園(沖縄県那覇市)

遊具広場の少し上に、大正から昭和初期に活躍した詩人・佐藤惣之助の詩碑があります。詩はかつての首里の街なみの様子を歌ったものですので、この重厚な詩碑もお屋敷街の雰囲気にあわせたものなのかも知れません。

虎瀬公園(沖縄県那覇市)

惣之助の詩
しづかさよ 空しさよ 
この首里の都の 宵のいろを
誰に見せやう 眺めさせよう

虎瀬公園(沖縄県那覇市)

■現地の解説板より 虎瀬山(トゥラジヤマ)
首里城の北北東、首里赤平町の北沿いに延びる標高約130mの琉球石灰岩の丘陵。頂上の岩石が虎の頭に見えたことから虎頭山、虎山とも表記され、遠くに海を見渡せる景勝の地として知られる。
琉球王国時代、松の生い茂る虎瀬山には「虎瀬ヌ御殿(トゥラジヌウドゥン)」と呼ばれる小規模な別邸(創建年不明)が造られ、王家の遊覧地となっていた。虎瀬山の景観は「首里八景」の一つとして「虎山松濤」と謳われ、「松」「月」を歌題に虎瀬山を謳った詩歌が多く残された。
廃藩置県(1879年)の後、「虎瀬ヌ御殿」は廃され、沖縄戦(1945)で虎瀬山の松林も消失した。戦後丘陵の東側及び周縁部は削られて宅地化したが、1982年(昭和57)に頂上一帯が整備され「虎瀬公園」となった。
園内に建てられている歌人佐藤惣之助の歌碑は、1959年(昭和34)琉球大学敷地内(現首里城)に設置されたが、首里城復元にともない1992年(平成4)この地に移設された。

(2012年10月訪問)

【2022年6月追記】

記事の最後に登場した佐藤惣之助の歌碑ですが、その後、出身地である川崎市の皆さんからの要望などもあって、2021年に首里城公園の一角に再移設されました。したがって虎瀬公園にはもうありません。

ブログ作者の感覚としては、現在の首里城公園の雰囲気に似合っておらず「近くにもう少し良い設置場所があったのでは?」と思うのですが、致し方なし。

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