247/1000 HATゆめ公園(神戸市中央区)

2013/01/22

山遊具 神戸市中央区 身近な公園 鉄道遺産 兵庫県

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HAT(ハット)神戸は、三宮の中心市街地から東へ1kmほど離れたところで、阪神・淡路大震災で被災した臨海部の工場跡などを再開発してできた新しいまちです。東西2km、南北300mほどの細長い区域に高層住宅と大型商業施設、官公庁、美術館、防災センターなどが整然と並び、戸建住宅はありません。そういうまちなので、ビルの間や高層住宅の足元などに計画的にオープンスペースが配置されています。

地区の東は西郷川、西は新生田川という川の河口部にあたり、それぞれに公園が整備されています。そのうち西端にあるのがHATゆめ公園。計画段階から多くの市民が参加し、そのアイディアを取り入れてつくられた公園です。
ちなみに「HATゆめ公園」というのは市民公募で決まった愛称で、都市公園としては新生田川沿いに連なる「生田川公園」の一部のようです。

さて、現在の広場部分の全景はこんな感じ。手前が遊具広場、奥のほうが多目的広場です。
それほど大きな公園ではありませんが、街区の端にあって大型建築物との距離がほどよく開いているため、実際の面積以上に広く感じます。

シンボル的な遊具は、こちらのカラフルなハゼ。
中がトンネルになっており、山遊具の亜種と言えます。色鮮やかなカラータイルは、企業から寄付されたタイルを近くの中学生たちが貼ったものだそうです。

滑り台とネット、登攀板を組み合わせた複合遊具も、サイズは小さいですが色々とバリエーションのある遊びができそうです。

人工の丘にはコンクリ磨き出し大型滑り台。単純ですが遊びがいがあります。

川沿いには湾状の人工干潟があります。潮が満ちてくると川から水が入ってくる仕組みになっています。
生物保護のため、普段は門に鍵がかかっていて中には入れませんが、きっとこの中には本物のハゼがいることでしょう。

人工干潟の周りの園路沿いには、近くの小学生が作ったタイル絵がズラリと並びます。どれもなかなかの力作ぞろいです。

こちらは近くの工業高校生が作った木の葉型のスツール。
タイル絵、ハゼ、スツールと、将来も公園を利用するはずの子供たちが参加して色々とつくっているところが素晴らしいと思います。

新生田川沿いということで、上流にある布引の滝のことを詠んだ歌碑があります(源雅実「たちかへり 生田の森の 幾度も 見るとも飽かし 布引の滝」)。これは市が設置している布引三十六歌碑の36番目のもので、川沿いに歌碑をたどって布引まで行く事ができます。

また、この場所は震災前までは川崎製鉄の工場でした。
その工場の圧延機に使われていたフライホイールがモニュメントとして展示されています。

●現地の解説板より『フライホイール』
 かつてここにあった川崎製鉄(株)葺合工場で1929年から60年以上にわたり活躍していた、鋼を圧延する機械の部品「フライホイール(はずみ車)」 それは機械の回転力を維持する巨大な装置でした。
 「HAT神戸」が力強く持続的に発展していくことを願って、往時の記憶とともに寄贈され、ここに設置されました。(写真説明)人物の背後にある半円形のケースの中にフライホイールが取り付けられており、手前の2台の機械(圧延機)を動かしていました。あなたもこのモニュメントで、その大きさを実感してみてください。
2006年 神戸市

また、川崎製鉄の工場には震災後に廃止された神戸臨港鉄道からの専用引込線があった関係か、それらの関連品が展示されています。神戸港駅構内にあった明治の煉瓦造下水道と神戸臨港鉄道架道橋ですが、どちらも震災後に発掘されて移設保存されたものです。
ぱっと見てもわかりにくいのですが煉瓦造で縦に伸びている部分が躯体で、その間の細いところが下水道のようです。
それにしても、1900年代に入ってからのものが、すでに「発掘調査」の対象となっているのには驚きです。明治はむちゃくちゃ遠くになりにけり。

●現地の解説板より『小野浜町煉瓦下水道と神戸臨港鉄道架道橋』
 この煉瓦造りの下水道は、明治40年(1907年)に竣工した神戸臨港鉄道の神戸港駅構内に造られたもので、この上を神戸港に出入りする貨物列車や旅客列車が通っていました。都市計画道路生田川右岸線の整備に伴い、文化財として移設保存しました。
 神戸港駅は埋立地にあり、下水道の築造にあたっては、当時の砂浜にコンクリートで基礎を作り、その上に花崗岩の切石を並べ、煉瓦を積み上げています。
 躯体の形はL字形で、その端部には長方形に加工した花崗岩の切石を交互に積み上げています。また、部分的に斜め方向に煉瓦を積み上げている部分があり、下水道にかかる列車の荷重を分散させるための工夫が見られます。
 下水道の四隅に立てられた石と煉瓦造りの柱状のモニュメントは、この公園の北側を東西に走っていた神戸臨港鉄道の南本町架道橋橋台の一部で、神戸新都心地区区画整理事業に伴い発掘調査をし、移設保存したものです。神戸臨港鉄道は、近代神戸港築造とその発展の原動力となり、物資や旅客輸送の役割を担って来ましたが、平成15年に廃線となりました。
 神戸臨港鉄道の建設にあたっては、海岸線を埋め立て、臨港地帯を形成することを予定し、高架とし、あらゆるところに石と煉瓦で組上げた架道橋(鉄道と道の交差点に造られた橋)を造りあげています。このHAT神戸も、その前身は葺合港湾という明治40年から明治43年にかけて、海岸を埋め立て築造された港湾施設で、これに通じる架道橋を4基築造していました。なお、架道橋橋台は、現地で埋め戻して保存されています。
 近代神戸港と港湾都市神戸の発展を物語る、貴重な2つの遺産を後世に伝えるため、モニュメントとしてこの公園に設置しました。

平成19年3月 神戸市都市計画局 神戸市中央区役所 神戸市教育委員会

神戸市報道発表資料「HATゆめ公園(生田川公園)」の完成について
歌碑のみち 布引三十六歌碑マップ
神戸臨港線南本町架橋範囲確認調査報告書(pdfダウンロード)

(2012年10月訪問)

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