271/1000 みなみもと町公園(東京都新宿区)

2013/02/15

新宿区 身近な公園 水遊び場 東京都

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JR四ッ谷駅と信濃町駅の中間あたり、線路と赤坂御用地との間にみなみもと町公園があります。
新宿区のサイトなどによれば、明治時代に御料地となった後、学習院用地、明治神宮造営局(区役所のサイトでは造幣局となっていますが間違いでしょう)などに使われた後に都立明治公園(の一部。飛地だったのでしょう)として公園になり、その後、新宿区に移管されて現在に至るということです。

町名でいうと「南元町(みなみもとまち)」で、戦前にあった南町と元町とが統合されてできた町名です。
ですから、公園名が不自然に平仮名混じりなのも「元町が主で、その南にある」という誤解を避け、「あくまで対等な、南と元とが一緒になった町にある」ことを主張しているのではないかと想像します。

さて、現在の公園は地形的には谷底の広場と、谷斜面の森とで構成されています。

広場はお年寄りがゲートボールをしている多目的広場と、ブランコや滑り台、回転ジャングルジムなどのあるちびっこ広場とにわかれています。

斜面部分には「森の広場」として人工の流れがある場所と、森の中に複合遊具がある場所、そして斜面地に湧き出る水を使ったビオトープとが隣接しています。都心の公園ならではの詰め込み具合ですが、それぞれがもう少し離れている方が良いとは思います。

ちなみにビオトープの愛称は「なんげんトープ」。地元では南元町のことを「なんげん」と呼ぶのでしょうか。先ほどの私の想像はなんだったのかと思い知らされます。

ところで、地形的には谷底だと言いましたが、江戸時代以前には辺りから流れ込む水が集まって鮫河という川になっていたそうです。川の名の由来は、江戸の埋立が進む前には鮫がここまで上がってきていたなど諸説あるようです。
でもって、そこに小さな橋が架かっていて、その名も鮫ヶ橋(鮫河橋)。
鮫ヶ橋の近くに堰があって、その堰を守るために稲荷社をお祀りしたのが鮫ヶ橋のせきとめ(堰留?)稲荷。
江戸っ子は言葉遊びが大好きなので、せきとめだから「咳が止まる」として大人気だったということです。

●現地の案内板
 みなみもと町公園一帯は、昔から低い土地で、ヨシなどの繁った池沼があり、周囲の大地からわきだす水をたたえ、東南の方向へ流れて鮫河となり、赤坂の溜池にそそいでいました。
 江戸時代になってからは水田となり、寛永年間に行われた江戸城の外堀工事の際に余った土で埋め立てられて、町になったといわれています。
 鮫河には橋が架かっていて、鮫河橋(さめがはし)と呼ばれていました。鮫河橋は「江戸名所図絵」にもとりあげられて有名になったので、この付近一帯を鮫河橋と呼んだ時代があり、今でもみなみもと町公園前の坂に「鮫河橋坂」という名前を残しています。

新宿による公園紹介のページ

(2012年11月訪問)

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