ウマ型20~揺れる動物

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揺れる動物の原点である「木馬」を踏襲したウマ型揺れる動物。
それだけに人気も高く、当ブログでも20種類の大台に一番乗りです。

こちらは、頭頂部のたてがみがロカビリー風な物件です。
揺れる動物(ウマ型20)

ブタ型2~揺れる動物

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意外に収集できていないブタ型。久々の2例目です。

暴風雪の翌朝の撮影で、目も鼻も雪が詰まっているので、もしかすると普段の日とは見た目が異なっているかもしれません。

(補記)2013年8月に雪が詰まっていないものを見つけました。実は鼻は赤かったのですね。

ゾウ型9~揺れる動物

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動物園の定番・ゾウ。揺れる動物としても人気です。

奥に見えるのはゾウ型8ですが、二つのシルエットを見比べた結果、後頭部(耳の後側?)や鼻の長さは違うものの、奥にある物件もゾウ型だという結論に至りました。

ゾウ型8~揺れる動物

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以前にNo.212の宇和島市・和霊公園で見かけた時は、「ちょっと何の動物なのか判別のつかない」と書いた揺れる動物。

改めてじっくり見る機会がありまして、ゾウであるという結論に至りました。これはゾウでしょう。

コアラ型5~揺れる動物

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コアラ型2と非常によく似ており、ボディは共通だと思うのですが、足のせ板の有無、持ち手の位置・形状が異なるため別に分類しました。
おそらく、こちらの改良型がコアラ型2になったのではないかと想像します。
揺れる動物(コアラ型5)

コアラ型4~揺れる動物

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ラッコ型3パンダ型6と同じシリーズと思われる揺れる動物。

シリーズの仲間たちは、どちらもビョ~ンと伸ばした足の上に子供を座らせるスタイルでしたが、コアラはどこが足なのか今ひとつハッキリしません。
揺れる動物(コアラ型4)


ウマ型19~揺れる動物

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当ブログでは、シマウマはウマの中に含めています。

ということで、目下2例目のシマウマ型揺れる動物。
デザイン面で自由度の高いボード貼り付けタイプですが、目の閉じ具合、反対側の鼻の穴が半分だけ見えるところ、尻尾の描き方など特徴の多い物件です。

ウマ型18~揺れる動物

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木製のウマですが、塗料が剥げてきているため傷んだ感じが漂っています。
木製品の場合は、塗装が剥げると表面がささくれだって危険になりがちですので、ボチボチ塗り直しが必要な頃合いです。

ウマ型17~揺れる動物

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揺れる動物の原点である「木馬」を踏襲したウマ型グループの中でも、ゼンマイ型のスプリングに特徴がある木製の物件。

トナカイ型1ウサギ型5と同じシリーズだと思われます。
メーカーはLAPPSET社。フィンランドの会社です。う~む北欧デザイン。
揺れる動物(ウマ型17)

ウマ型13(亜種)~揺れる動物

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ウマ型13は4頭立てのシーソーでしたが、こちらは2頭立て。もっともシーソーそのものの構造はまったく異なります。

ウマ型2ウマ型6とも共通の部分があり、このボディを使ったシリーズはバリエーションが多いようです。おそらくロングセラー商品なのでしょう。

300/1000 小島公園(東京都台東区)

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小島公園は、当ブログではお馴染みの、関東大震災からの復興小公園です。

隣にあるのは旧・小島小学校。校舎は復興時に建てられたままの外観を保っているようですが、中身は台東デザイナーズビレッジという起業支援施設、ならびに小島アートプラザという大学などの出先が入る施設になっているようです。
No.121の練成公園もそうでしたが、廃校跡にアート系の施設というのもお馴染み感があります。この二つの親和性が高くなる理由でもあるのでしょうか?

299/1000 小島児童遊園(東京都台東区)

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浅草三筋町の一角、東西に走る道路がクランクしている角地にあります。
下の地図で拡大して見ていただければと思うのですが、交差点がクランクで変則十字路になっているので、この児童遊園を無くして道路を斜めに通し、交差点を通常の十字路形状に直しても良いように思います。
じっさいに1963年(昭和38年)の航空写真を見るとそのような形状になっているのですが、またいつの頃か現在のように改められたようです。


背景にどのような事情があったのかは知りませんが、あえて交差点を複雑な形にしてまで確保した児童遊園ですので、責任は重大です。多分。

298/1000 小島2丁目児童遊園(東京都台東区)

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地下鉄大江戸線の新御徒町駅の近くを歩いている時に偶然見つけた児童遊園ですが、なかなか厳しいことになっていました。

園名板はしっかりしているのですが、

全景がこちら。
機械式の車止めがあるのは、写真右手と奥(門の向こう側)が変電施設になっているからのようです。
したがって、児童遊園と呼べるのは、写真左手の植栽、ベンチ、コンクリート敷の広場?までです。大型プランターが置かれているのが、せめてもの慰みです。

児童遊園をほかの用途に変えるのは難しくないけれど、「児童遊園」という名前を外してしまうのは困難なことが見て取れます。

(2013年1月訪問)

297/1000 左衛門町北児童遊園ほか(東京都千代田区、台東区、中央区)

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神田川に架かるNo.296の美倉橋の橋詰広場は、両橋詰の左右、合計4ヵ所の橋詰のうち3ヵ所が児童遊園となっている例でした。
関東大震災からの復興事業の際には4ヵ所が広場として整備されたところが多いはずですが、現在の橋詰を見ると交番、地蔵堂、お社などが置かれていることも多く、4ヵ所すべてが広場として残っていることばかりではありません。

その中で、美倉橋の一本東にある左衛門橋では、4ヵ所の橋詰広場がすべて別の児童遊園となっています。さらに、それらが3つの区にわかれているという点が特筆されます。
Googleマップで見るとわかりますが、橋の中央と神田川の中央に区界が走っているため、橋の西側が千代田区、北東側が台東区、南東側が中央区となっているのです。



296/1000 美倉橋北児童遊園ほか(東京都千代田区)

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No.139などで、関東大震災からの復興橋梁には橋詰広場が計画的に整備されたことに触れました。現在では土地利用が変わって無くなってしまったものも多いのですが、児童遊園として管理されている例も多く見受けられます。

神田川に架かる美倉橋の橋詰広場も、児童遊園として管理されています。

■美倉橋北児童遊園
取り立てて言うほどの施設はありません。ベンチ、スツール、公園灯くらいです。
スツールがボラード(船係柱)型なのは、なんとなく川沿いの船着場のイメージを取り入れたかったのかも知れません。

295/1000 岩本町馬の水飲広場(東京都千代田区)

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No.293294で登場した和泉橋ですが、古い地図で確認してみると、江戸時代の終わり頃にはすでに同じあたりに橋があるのですが、その頃は神田川を南に渡ったところは屋敷があってT字路の突き当りになっており、橋からすぐ南に通じる道はありませんでした。

明治になると路面電車が通るようになり、橋からやや東寄りに斜めに出て行くような新しい道が開かれます。現在の山崎製パン本社の前を南北に走る道の原形です。
さらに関東大震災の後に橋が架け直され、同時に南の方にまっすぐ通じる昭和通りが整備されます。
そうすると、明治に開かれた道(下の写真左手)と昭和通り(同右手。首都高の高架がチラッと見える)との分岐に三角地ができます。
それが、現在の「岩本町馬の水飲み広場」です。
岩本町馬の水飲広場(東京都千代田区)

294/1000 和泉橋南東児童遊園(東京都千代田区)

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No.293の和泉橋南西児童遊園と同じく、資料で名前は見るものの長らく場所がわからなかったのですが、南西と同じ時にどこなのかを理解できました。

こちらです!和泉橋の南東すぐ!
ここから東側は神田岩本町の繊維街で、その関連のイベントをやっている時に歩道橋から見下ろしてみました。
和泉橋南東児童遊園(東京都千代田区)

293/1000 和泉橋南西児童遊園(東京都千代田区)

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和泉橋は秋葉原の駅を東に出て神田川を渡る橋です。江戸時代に藤堂和泉守の屋敷の前の通りに架かっていたことから、この名がついたそうです。その屋敷は、神田川の北側、No.125の和泉公園がある神田和泉町にありました(屋敷そのものは公園よりも少し西側にあったようですが)。

千代田区役所の資料には、この和泉橋の南西に児童遊園があると出ているのですが、長らくどこなのかよくわかりませんでした。
ところが、このブログを書くようになって関東大震災からの復興橋梁に付帯してつくられた橋詰広場が、現在は児童遊園として管理されている例を多く見てきたことで、やっとどこが和泉橋南西児童遊園なのかわかりました。

292/1000 神田公園(東京都千代田区)

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また出ました。このブログではおなじみの、関東大震災からの復興小公園です。
この公園とセットだったのは、道一本挟んで東側の神田小学校。1993年(平成5年)にほかの2校と統合され千代田小学校となりましたが、旧校舎があった場所に「神田さくら館」という複合施設が建てられ、そこに収まる形で今もそこにあります。

神田さくら館は、5階建てのビルの中に小学校、幼稚園、図書館、教育研究所が入居しており、学校が使っていない時間帯はプール、体育館、音楽室、家庭科室などを区民に貸し出すという生涯学習施設にもなっています。
学校が主である「学校開放」ではなく、複合施設の中で学校も一般区民も室を共有するという感覚が非常に都心的です。

291/1000 小川広場(東京都千代田区)

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小川広場は、No.290(錦華公園)で登場したお茶の水小学校に統合された旧・小川小学校の跡地を、次の利用目的が決まるまでの間、暫定的に広場として開放しているものです。一般的な都市公園の枠組みの外にあるものなので、見た目からして少し変わっています。

なんと言っても、ほぼ全体がアスファルト舗装という点。これは都市公園ではちょっとできません。
賛否両論あるでしょうが、都心ど真ん中という立地では、雨の後でもスポーツができる、イベントなどに使いやすい、近所に砂埃が飛んでいかない、草刈りの手間がいらないといったメリットが勝るのでしょう。
外周部に申し訳程度に植わっている樹木は、学校の校庭だった頃の名残だと思います。
小川広場(東京都千代田区)

290/1000 錦華公園(東京都千代田区)

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錦華とは格好いい名前ですが、由来としては先に小学校名としての錦華小学校があり、その隣にできた公園なので錦華公園という名前になったようです。
ではなぜ猿楽町にある小学校が錦華?という疑問は残りますが、No.137の十思公園でも触れましたが、なにかと意気軒昂だった明治初め頃にできた東京の小学校は、単純に地名から校名を取るようなことはせず、いろいろと凝った校名をつけることがあったようです。
その夏目漱石の出身校として知られる錦華小学校も、1993年(平成5年)に周辺の小川小学校、西神田小学校と統合されて、現在は区立お茶の水小学校となっています。

289/1000 神保町愛全公園(東京都千代田区)

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千代田区立高齢者センターの前庭のようになっていますが、独立した公園の名を持つのが神保町愛全公園です。仕立てとしては大きなケヤキやサクラ、カエデ類などが多数植えられた、ビルの谷間のポケットパークとなっています。

公園正面には西洋風のライオンの口から水が出る噴水。
池の縁は腰掛けるのにちょうど良い高さです。
神保町愛全公園(東京都千代田区)

288/1000 西神田公園(東京都千代田区)

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この公園があるのは水道橋駅から少し南に下がったあたりで、日大や専修大の学舎があちこちに散らばっている中に大小の雑居ビルが並ぶような賑やかな街の一角です。しかし、公園については周りを囲むように保育園、区営住宅、URの市街地住宅などが配置されており、非常に計画的なものを感じさせます。
実はここも関東大震災からの復興都市計画に基づいて開かれた公園で、当時は西小川公園といいました(町名変更される前で所在地が西小川町だった)。
現在、公園北側にある高層ビル(千代田区 西神田コスモス館)の場所には西神田小学校がありましたが1993年にお茶の水小学校に統合されて閉校となりました。

287/1000 神三児童遊園(東京都千代田区)

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専修大学神田キャンパスの玄関から細い道を渡ったところにあるのが神三児童遊園です。神保町三丁目にあるので神三なのだとと思います。

ここへ至るまで色々と経過があってこうなったのでしょうが、3方が塞がれた細長いレンガ敷きの広場の中にカエデの樹が1本。
座るところもないので、なにをして良いものやら迷ってしまいます。

そのくせ公園の一番奥には、選挙ポスターの掲示板。
誰が見に来るのかわからないので、ポスターを貼らなかった1番4番の人は正解でしょう。って、1番はマック赤坂氏か。

ところが、この公園からフェンス一つを隔てた隣には、専修大学の創立130周年事業として開かれた黒門広場があり、こちらには創立当時の姿を再現した黒門、靖国通りを走っていた路面電車の敷石を使った遊歩道などがあって、なかなか立派なものです。
正直なところ、両者の間のフェンスは取り払って一まとめにした方が良いように思います。

専修大学 黒門復活についての記事

(2012年11月訪問)

286/1000 堀留南児童遊園(東京都千代田区)

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No.285の堀留北児童遊園から道を渡った反対側の橋詰にあるのが堀留南児童遊園です。
中心に大きなケヤキの樹を持ち、その周りにスツール、公園入口にはトイレがあります。

ここも、ほぼ喫煙所。この雰囲気の中、公園内に入って写真を撮るのは難しいです。
堀留南児童遊園(東京都千代田区)

トイレの前にはなにかよくわからない彫刻が一つ。
とりあえず出目金と呼んでおきます。
堀留南児童遊園(東京都千代田区)

(2012年11月訪問)

285/1000 堀留北児童遊園(東京都千代田区)

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神田川(外堀)から分流して皇居の東側を流れて隅田川へ通じている日本橋川ですが、江戸時代には神田川から切り離されて行き止まりの堀になっていました。その行き止まり周辺の地名が堀留です。明治になって閉塞部が開削されて現在のような川の姿になりました。
その堀留に、関東大震災後の1926年(大正15年)にかけ直されたのが現在の堀留橋です。

No.139147などに登場しましたが、関東大震災からの復興事業で架けられた橋梁には、計画的に橋詰広場が設けられています。
この堀留北児童遊園と、明日掲載される予定の堀留南児童遊園も、ちょうど橋の西詰の南北にあるので、おそらくその時に設けられた橋詰広場の流れを汲むものだと思います。

さて堀留北児童遊園は、すぐ隣に都営住宅が建てられており、その玄関横にあるため都営住宅の前庭のような性格も帯びています。
堀留北児童遊園(東京都千代田区)