日本1000公園

日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2013年5月31日

361/1000 浦風公園(兵庫県西宮市)

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なにやら気持ちの良い風が吹いてきそうな響きの浦風町(甲子園浦風町)ですが、『角川日本地名大辞典28 兵庫県』によれば昭和13年(1938)からの町名だということで、いわゆる佳名なのだと思います。

その浦風町の一角にある浦風公園は、敷地内に一体的に浦風会館というコミュニティ施設が設置されており、なにかと地域の人が集まりやすい場所になっているようです。
訪れた時は餅つき大会の開催中で、大人も子供もたくさんの人が集まっていました。
浦風公園
浦風公園

2013年5月30日

360/1000 久寿川公園(兵庫県西宮市)

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大阪と神戸を結ぶ阪神電鉄(本線)は市街地を通るため、現在工事中のものも含めれば、ほとんどの区間で高架化が実施されています。その阪神電鉄にあって、駅の直上を名神高速道路の高架が通っているために地上駅のままになっているのが久寿川(くすがわ)駅です。

そして、久寿川駅の南口を出るといきなりあるのが久寿川公園です。
久寿川公園

2013年5月29日

359/1000 北上野児童遊園(東京都台東区)

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清洲橋通り沿いの、三方を道路に囲まれた細長い三角地(うち二方は車道に直面)にある小さな公園です。

この界隈は江戸時代以来の寺町だったのですが、関東大震災で焼失し、その後に清洲橋通りが開かれたり、周囲の道路が付け替えられたりした時に三角地ができたようです。
昭和の中頃の地図を見ると、この場所は交番の敷地になっています。交番なら道路に囲まれた三角地でも構わないのですが、公園としては少々難しい立地です。
北上野児童遊園

2013年5月28日

358/1000 山伏公園(東京都台東区)

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このあたり、現在は「北上野」という取って付けたような町名になっていますが、町名変更されるまでは山伏町と呼ばれていました。
現地にあった旧町名由来案内によれば、1723年に牛込山伏町(現・新宿区)で火事があり、そこに住んでいた城詰の武士たちがこちらに移されたため、牛込山伏町代地下谷山伏町となり、だんだん短くなって山伏町となったそうです。

ブロックの半分くらいが中学校のグラウンドに占められ、残りが公園になっています。
隣にある学校は、現在は駒形中学校と言いますが、時代ごとに上野小学校だったり忍岡中学校だったりします。また校舎があったりグラウンドに変わったり、学校敷地と公園敷地との取り合いがあったりと、色々と変遷があるようです。
山伏公園(東京都台東区)

2013年5月27日

357/1000 金竜公園(東京都台東区)

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合羽橋の道具屋街にもほど近い金竜公園は、関東大震災からの復興52小公園のひとつで、隣接する台東区生涯学習センターの場所には、もとは復校小学校である金竜小学校がありました。

小学校は昭和61年にやや北の現在地に移転し、残っていた校舎も平成10年に解体されて生涯学習センターが建てられたそうです。
学校名は金龍山浅草寺から採られており、後からできた公園は学校名に因んで名付けられたと思われます。

2013年5月26日

356/1000 西郷川河口公園(神戸市灘区)

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No.247248で登場したHAT神戸は、西郷川と新生田川という2本の川に挟まれた海岸沿いにあたります。そのうち東端にあるのが西郷川河口公園です。
西端のNo.247 HATゆめ公園と比べると、なんだか即物的な公園名に感じますが、実際に行ってみると負けず劣らず楽しげな公園でした。

文章に書いてもわかりにくいのですが、この公園は、川沿いの低い場所~周囲と同じ高さのフラットな場所~国道43号線を跨ぐ歩道橋に繋がる高い場所が上手に連なっており、小さいながらも変化に富んだ地形になっています。

河口近くには、人工の干潟というか潮だまりというか、生き物の生息場所がつくられています。潮が満ちてくると、川の方から水が入ってくる仕組みになっています。
西郷川河口公園

2013年5月25日

355/1000 みなと公園(神戸市中央区)

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「みなと公園」という名の公園は全国あちこちの都市にありますが、神戸市のそれは、神戸開港当初の姿をかすかに残す海岸沿い、その名も波止場町の一角にあります。

ミナトコウベとは言うものの、海岸線の埋立や人工島の建設で市街地から港への距離はどんどん遠くなるばかりです。その中で、みなと公園からは隣に建つ水上警察、合同庁舎、水先人会などの関連の船(警察船、海保巡視艇、パイロットボートなど)が集まる船だまりが眺められるので、私のお気に入りスポットです。
みなと公園
みなと公園

2013年5月24日

354/1000 待乳山聖天公園(東京都台東区)

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No.352で出てきた日本堤ですが、それをつくる時に隅田川端にある真土山(待乳山聖天)の一部を切り崩して土を採ったそうです。
その名残なのかどうかはわかりませんが、今も待乳山聖天の西側は東側と比べると切り立った崖状の地形になっており、その崖下に待乳山聖天公園があります。
待乳山聖天公園

2013年5月23日

353/1000 富士公園(東京都台東区)

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江戸時代には、富士山を崇拝する富士信仰が盛んでした。とは言え、実際に富士山にお参りできる人は限られていましたので、富士山をまつる浅間神社が勧請され、江戸のあちこちに社が建てられました。
台東区浅草5丁目にある浅草富士浅間神社も、その一つです。
富士公園(東京都台東区)

関東大震災の後、その浅草富士浅間神社の向かいに富士小学校と富士公園が整備されました。

2013年5月22日

352/1000 日本堤公園(東京都台東区)

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No.351で出てきた山谷堀がしばしば洪水を起こすもので、川沿いに堤がつくられました。これが日本堤と呼ばれるものです。今では川も無くなり堤跡は道路などになり、どこがどこだかわかりにくくなっていますが、町名として日本堤の名が残っています。
その町名としての日本堤(台東区日本堤1丁目)から道一本挟んだ東浅草2丁目に、日本堤公園があります。町名と公園名が合わないのは、今までの経験からすると町名変更・境界変更のためだと思います。

こちらの公園、写真奥に見える台東区立東浅草小学校に隣接し、その校庭と一体的に使えるようになっています。
日本堤公園

2013年5月21日

351/1000 山谷堀公園(東京都台東区)

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江戸時代、三ノ輪あたりから流れ出て隅田川へと注ぐ川が堀割として整備され「山谷堀」と呼ばれました。吉原遊郭のそばを通るため、吉原に遊びに行く旦那衆は船で隅田川から山谷堀を通って行くのが定番だったと言います。

この山谷堀が1970年代に埋めたてられて暗渠となり、その上部が山谷堀公園となりました。もとが川ですので、ずーっと細長く続いています。

とは言え、当然ながら昔の橋の跡(道路)で細かく分断されています。
分断されたブロックごとに、広場、遊具広場、下流の方に行けば庭園風など、ちょっとずつ性格が異なっているようです。
 山谷堀公園
山谷堀公園

2013年5月20日

350/1000 一葉記念公園(東京都台東区)

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明治の小説家・歌人である樋口一葉の名を冠した一葉記念公園は、1978年(昭和53年)発行の『日本公園百年史』の附表によれば、もともと1938年(昭和13年)に竜泉寺公園という名称で開園したものだそうです。
これが戦災で荒れ果てていたところを、1949年(昭和24年)に地元の方々が再整備して失われていた一葉記念碑を再建し、これにあわせて公園名も改められたようです。公園の向かいにある区立一葉記念館ができたのが1961年(昭和36年)ですので、まず公園を整備・活用することで気運を高め、記念館の開館に至ったというところでしょうか。
一葉記念公園

2013年5月19日

349/1000 花園公園(東京都台東区)

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花園公園は、台東区立台東病院の横にある小公園です。
台東病院の敷地には、もともとは吉原病院といって、1911年(明治44年)に吉原遊郭の娼妓向けの性病専門病院として、警察庁の手により開設された病院がありました。

本ブログでよく参照している日文研の所蔵地図データベースで1920年(大正9年)の『大正九年東京全図(便覧社)』を見ると、水路に囲まれた新吉原(吉原)の左上、この地図の方位では南西側に吉原病院の名が見えます。おおむねこの敷地内に、現在の台東病院、千束保育園、花園公園が含まれています。
なぜ吉原病院が道路沿いではなく道路をまたぐような(直交するような)位置に設置されたのかはわかりませんが、きっと使い勝手の上で必要性があったのでしょう。

2013年5月18日

348/1000 吉原公園(東京都台東区)

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吉原公園は、いわゆる吉原のソープランド街の中にあり、No.347の京町公園と同じく、江戸時代に「お歯黒どぶ」と呼ばれた吉原遊郭の外周堀跡に面しています。
そうは言っても京町公園の周りは旅館(とその名残)が多いブロックだったのでまだ平気でしたが、こちらは公園から道を挟んでソープランドが立ち並んでいるため、くれぐれも人物にはカメラを向けないよう、写真を撮るのにも緊張してしまいます。
吉原公園

2013年5月17日

347/1000 京町公園(東京都台東区)

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江戸時代に開かれ、時代々々の変化を受けながらも遊興地として栄え続ける吉原の一角に京町公園はあります。
「京町」の名は、もともとは上方から移ってきた人たちが営業していた遊郭があったことにちなむものだそうです。

京町二丁目通りから公園内を眺めるとこんな感じです。
滑り台付きジャングルジム、揺れる動物、ブランコ、チューリップ形の回転遊具などが

2013年5月16日

346/1000 竜泉児童遊園(東京都台東区)

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基礎石が立派な園名板と、そこに貼り付けられた住居表示板が印象的な児童遊園です。
竜泉児童遊園

街区の中で家一軒分だけが公園になったような形で、三方を建物に囲まれていますが、周りの建物があまり高くないため、それほどの圧迫感はありません。また広さに対して間口が広いため、むしろ囲まれていることの安心感を感じるほどです。

竜泉児童遊園

2013年5月15日

345/1000 弁天院公園(東京都台東区)

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樋口一葉の『たけくらべ』の舞台になったという台東区竜泉に、朝日山弁天院という小さなお堂があります。
現在のお堂がいつ頃のものかは知りませんが、屋根の上には宝珠が乗ってお寺風なのですが、鰐口ではなく鈴が吊され、また狛犬が脇を固めていて神社風でもあります。このあたり、神仏習合や民間信仰も入り混じった弁天様らしいお祀りの仕方なのかとも思います。
弁天院公園

お堂の前には小さな池があり、そこが弁天池と呼ばれています。

2013年5月14日

344/1000 根岸公園(東京都台東区)

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台東区立金曽木(かなそぎ)小学校とファミレスとの間に挟まれた細長い小公園です。間口は狭く、奥に進むと幾分広くなっています。
根岸公園

どうしてそうなったのかは分かりませんが、公園の奥に一般の住宅があり、そちらのお宅の玄関は公園に向かって開いています(表札や呼び鈴も付いているので、メインの玄関だと思われます)。
そのせいなのかどうなのか、公園入口から住宅の玄関先までは石張り舗装が施されています。

2013年5月13日

343/1000 根岸2丁目児童遊園(東京都台東区)

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台東区根岸の界隈は東京大空襲の被害に遭わなかったため、戦前の家並みが残る地区として知られています。
もっとも、そこに隣接する鶯谷駅から日暮里駅にかけてのJR線北側は、戦後に再建された住宅地の中に古い連れ込み宿やラブホテルが入り混じり、下町というか場末というか、なんとも言えないゴチャ混ぜ感が漂う一帯となっています。
そんな街にも(そんな街だからこそ)、小さな公園があります。

根岸2丁目児童遊園は、自動車も入りにくいような細道の奥にあります。
東京に雪が積もって2~3日後に行ったのですが、まだ建物の陰になる場所では道路に圧雪が残っているような状態で、公園には道路から除けた雪が集められていました。
根岸2丁目児童遊園

2013年5月12日

342/1000 東日暮里四丁目児童遊園(東京都荒川区)

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第三日暮里小学校のほど近く、大きな通りからは少し中に入ったところにある落ち着いた児童遊園です。
東京都心に雪が積もってから数日後に行ったのですが、まだちょっと遊べるような状況ではありませんでした。
東日暮里四丁目児童遊園

遊具は渦巻き滑り台、ミニローラー滑り台、揺れる動物、鉄棒、砂場など。
東日暮里四丁目児童遊園

手前に見える砂場は縁石ギリギリのところにフェンスが立てられ、親子で遊ぶのには窮屈そうです。
イヌネコ対策で仕方がないかも知れませんが、もう少し余裕が欲しかったと思います。
東日暮里四丁目児童遊園

(2013年1月訪問)

2013年5月11日

341/1000 日暮里南公園(東京都荒川区)

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JR日暮里駅から5分ほど歩いた住宅地の中にある公園です。
街区公園ですが0.62ヘクタールと広めなうえ、あたりは古い市街地で公園が少なめなので、近傍から人が集まってくる公園のような気がします。

規模なりに遊具が充実しており、とくにそこいらの街区公園ならメインを張れるだけの遊具が3点揃っていて、なかなか強力です。
まずこちらは、複合遊具と2つの倉庫が一体化したもの。滑り台の頂部から倉庫の1つの屋根に登ることができ、吊り橋を渡ってもう1つの倉庫まで行くことができます。
日暮里南公園

2013年5月10日

340/1000 梅小路公園(京都市下京区)

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梅小路公園は、以前はJRの貨物駅があった場所に平安遷都1200年を記念してつくられた総合公園です。1994年(平成6年)に「全国都市緑化きょうとフェア」の梅小路会場として利用されて100万人以上の人を集めた後、パビリオンや仮設庭園などを取り払うなどして翌年に公園として開園しました。
平安時代には、平家一門の邸宅群(西八条第:にしはちじょうてい)があった場所ということで、整備に先立つ発掘調査で遺構が見つかっています。そのあたりのことは梅小路公園の公式サイトに譲ります。

さて、現在の梅小路公園。まちなかの大公園ということで、休日には多くの人が、思い思いの利用をしています。
例えば、公園西北側の七条入口広場でダブルダッチをやっている団体に出くわすことがよくあります。
詳しいことは知りませんが、京都にあるいくつかの大学サークルが合同で交流会みたいなことをしているようです。あえて公園の中でも目立つ場所で、練習とも披露ともつかない活動をおこなうというのは、かつてのホコ天、城天のような利用のバリエーションのように思います。
梅小路公園

2013年5月9日

339/1000 水明公園(兵庫県尼崎市)

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尼崎の競艇場の隣にあるのが水明(すいめい)公園です。
と書きましたが、都市計画上は競艇場の敷地も含めた約14.3haの総合公園で、そのうちの2ha弱が開園済みということになっています(競艇場部分は未開園扱い)。
市街地で2haといえば、けっこう広い公園という印象を持ちますので、本ブログでは「大きな公園」に分類しておきます。

さて、公園の北~西あたりはクスノキなどの大木に囲まれて、遊具があちこちに散らばっている広場になっています。
遊具広場と呼ぶほどには一まとまりになっておらず、色々な遊具で遊ぼうと思うと広場中を駆け巡らねばならないので、子供たちも大変です。
水明公園(兵庫県尼崎市)

2013年5月8日

338/1000 口の開公園(兵庫県尼崎市)

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尼崎市の南西部にあたる大庄(おおしょう)地区は、1942年(昭和17年)に尼崎市と合併するまでは大庄村でした。村といっても昭和初期に阪神国道(現在の国道2号)が開通し、臨海部が埋め立てられて工業地ができたため、再末期には5万人近い人口を抱えていたそうです。
この大庄村の役場が置かれたのが口の開地区で、1937年(昭和12年)に建てられた大庄村役場は、現在も大庄公民館として使用されています。

ということで、公民館から西へ200mほどのところにある口の開(くちのびらき)公園です。

公園入口には、ペンギンのタイル画が付いたトイレがあります。
しかしよく見ると電線の上に止まっているようでもあり、ペンギンではなくツバメなのかも知れません。
口の開公園

2013年5月7日

337/1000 雉ヶ坂子ども広場(兵庫県尼崎市)

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武庫川下流の東岸、尼崎市の大庄西町に「雉ヶ坂」という伝承地があります。

その昔、本能寺の変を知った羽柴秀吉が明智光秀を討つべく、いわゆる「中国大返し」で摂津・山城方面へと軍を進めていたところ、武庫川の西岸まで来たところで地元の農夫から「対岸に明智軍が潜んでいる」との注進を得、見れば夜明け前だというのに藪の中から雉が飛び立つのを見たため、進路を変えて背後から明智軍を攻めることができた、というものです。
後に秀吉は、この地での雉の捕獲を禁じ、土地の者に田と池(礼田池)を与えたと言います。

まぁ戦国時代に今と同じところに武庫川が流れていて、同じように坂があったとはとても思えないのですが、とりあえず下の写真左手奥の細道が「雉ヶ坂」、右手の住宅あたりが池跡ということになっており、その二つに挟まれているのが雉ヶ坂子ども広場です。
雉ヶ坂子ども広場(兵庫県尼崎市)

2013年5月6日

336/1000 長田北公園(沖縄県那覇市)

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那覇市長田は、建物の雰囲気からして30~40年ほど前に区画整理事業をおこなった地区のようで、メインストリートでは直線的な道路に面して鉄筋コンクリート3階建ての建物が並び、建物1階には店舗が入って小さな商店街になっています。
今の目線で見ると車道幅・歩道幅とも狭くて危なっかしいところはあるのですが、ほぼ統一された建物高さと道路幅とのバランスが良く、落ち着きのある景観をつくり出しています。



2013年5月5日

335/1000 長田西公園(沖縄県那覇市)

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少し古い区画整理住宅地の中にある、少し古い公園です。

面積は900平米と、市街地の遊具広場としてはけっして狭すぎることはないのですが、植栽が育ってボリュームが出すぎていたり、根が張りすぎていたりして使いづらくなっている場所も多く、数字以上に狭く感じてしまいます。

以前はブランコと滑り台があったようなのですが、私が訪れた時は更新作業の途中だったのか、撤去だけが終わって何もない広場が広がっていました。そのせいで、必要以上に印象が薄くなってしまった感もあります。

その後新しい遊具が置かれたかどうかは不明です。

(2012年12月訪問)

2013年5月4日

334/1000 長田南公園(沖縄県那覇市)

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沖縄大学の近くで、駐車場を探して住宅地をグルグル回っている時に見つけた公園です。
かなり奥まったところにあるので、もう一回行けと言われても自信がありません。

カギ型になった敷地の片側の端にブランコ、反対側の端に滑り台、シーソー、雲梯などが配置され、屈曲部を上手に使って広場が取られています。

2013年5月3日

333/1000 与儀げんき公園(沖縄県那覇市)

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与儀地区で1988~89年にかけて続けざまに開園した5兄弟公園(なかよしちびっこわんぱくおもしろげんき)。5番目は与儀げんき公園です。最後になりましたが念のため、順番は私が訪れた順番ですので他意はありません。

公園を訪れると出迎えてくれるのは、本ブログではすっかりお馴染みとなった沖縄の公園門。

2013年5月2日

332/1000 与儀おもしろ公園(沖縄県那覇市)

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与儀地区で1988~89年にかけて続けざまに開園した5兄弟公園(なかよしちびっこわんぱくおもしろげんき) 。4番目は、名前がいちばん気になる「与儀おもしろ公園」です。
だいたい、自分のことを面白いと言うやつは、さほど面白くもないのが定番ですが、おもしろ公園はどうでしょうか。とりあえず、公園トイレの屋上を園名板にしてしまうあたりは面白いですね。

2013年5月1日

331/1000 与儀わんぱく公園(沖縄県那覇市)

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与儀地区で1988~89年にかけて続けざまに開園した5兄弟公園(なかよしちびっこわんぱくおもしろげんき)。3番目は、No.305の小禄南風(おろくなんぷう)公園に勝るとも劣らない巨大滑り台一本勝負の与儀わんぱく公園です。

公園門をくぐり、鉄棒の横を抜けた先には、斜面地を利用したコンクリート研ぎ出しの滑り台が見えています。