日本1000公園

日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2013年7月31日

416/1000 塩屋緑地(兵庫県洲本市)

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塩屋緑地はNo.415の市民広場から、イオンのショッピングセンターを挟んで反対側にある小公園です。
塩屋緑地(兵庫県洲本市)

細長い三角形の敷地に、複合遊具やターザンロープ遊具があって、緑地とは言いますが児童公園のような仕立てになっています。
ちなみに下の写真の右手に写っている道路は、1966年(昭和41年)に廃止された淡路鉄道の廃線跡(洲本港~福良港)で、公園の近くに寺町駅があったそうです。
塩屋緑地(兵庫県洲本市)

2013年7月30日

415/1000 市民広場(兵庫県洲本市)

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淡路島の洲本市は海に向かって開けた街で、1998年(平成10年)明石海峡大橋ができて淡路島が本州と陸続きになるまでは、洲本港は神戸、大阪、泉州深日などへの客船航路や貨物輸送で賑わっていました。

その洲本港のすぐそばに、明治時代に建てられた煉瓦造の紡績工場(鐘淵紡績 洲本工場)がありました。国内でも有数の規模を誇り、1950年(昭和25年)には従業員数4200名(その頃の洲本市の人口が3.7万人)を数えるまでの大工場だったと言います。
しかし産業構造の変化に伴って工場は縮小・業態変更を余儀なくされ、1986年(昭和61年)に遂に閉鎖されます。
市民広場(兵庫県洲本市)

2013年7月29日

414/1000 中浜公園(兵庫県洲本市)

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中浜公園は、洲本港の中でも華やかな旅客ターミナルの方ではなく、工業用地になっている一角、石油タンクの隣にある小公園です。

そうした立地の港湾緑地にありがちで、家電などの大型ゴミが駐車場に運び込まれていたり、釣り客などの残すゴミが散らかっていたりと、あまり気持ちの良い場所にはなっていませんでした。
もともとはきれいに作ってあるのですが、人目が届きにくい場所ということで利用者のマナーや順法精神、日々の清掃や管理の足りなさが如実に出てしまうのでしょう。

そういう状況の写真を載せても仕方がないので、 上手に避けながら撮った写真を何点か。
中浜公園(兵庫県洲本市)
中浜公園(兵庫県洲本市)
中浜公園(兵庫県洲本市)

(2013年4月訪問)

2013年7月28日

413/1000 炬口児童公園(兵庫県洲本市)

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No.412の炬口漁港公園から300mほど離れた集落内にある公園です。
隣接地にはコミュニティ消防センターという消防団の機材庫と集会所、避難場所などを兼ねた施設があり、ちょうど2013年4月の淡路島地震の直後に訪ねたので、もう少し慌ただしくしていることを想像して行ったのですが、とくに何事も無かったかのように静まりかえっていました。
炬口児童公園(兵庫県洲本市)

2013年7月27日

412/1000 炬口漁港公園(兵庫県洲本市)

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洲本市の中心を東西に流れる洲本川。この河口の北側が炬口(たけのくち)地区です。
炬口には小さな漁港があり、その脇に炬口漁港公園があります。
2013年4月に発生した淡路島地震では、この公園のあたりにも被害があったということで、見聞に行ってきました。

公園は、漁港の船だまりのすぐ横にあります。おそらく漁港整備の関連事業でつくられた公園ではないかと思います。
炬口漁港公園(兵庫県洲本市)

2013年7月26日

411/1000 曲田山公園(兵庫県洲本市)

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淡路島の中心都市である洲本市は、洲本川の河口に開けた城下町です。
市街地の南側に小さな丘が2つあり、海に近い丘が洲本城跡のある三熊山、もう1つの丘が曲田山(まがたやま)公園です。
曲田山公園は洲本の花の名所として有名なのですが、調べてみると都市公園にはなっていませんでした(洲本市が管理している公園ではあるのですが)。まぁ都市公園であるかどうかというのは事業手法の問題なので、あまり重要なことではありません。

公園への登り口はいくつかあるのですが、この時は洲本中央公民館の横手から登りました。
写真は公民館裏の遊び場。駐車場も兼ねているような曖昧な空間利用ですが、城下町の古い街並みということもあって市街地には公園が少ないためか、公民館にしては遊具が充実しています。
曲田山公園(兵庫県洲本市)

2013年7月25日

410/1000 みんなの稲荷公園(岩手県盛岡市)

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盛岡市では、JR盛岡駅の東側が盛岡城跡などのある旧市街、西・南側が大型商業施設や新しい住宅地の並ぶ新市街地です。
その新市街地の一角、盛岡西バイパスや巨大なイオンモールにほど近い住宅地で見つけたのが「みんなの稲荷公園」です。

ちょっと意外な公園名だったので「愛称かな?」と思い、戻ってから資料を当たってみたところ、都市公園としての正式名称も「みんなの稲荷公園」でした。
とくに言わなくとも、公園はみんなのものなのですが、それでも敢えて言いたくなるだけの理由があったのでしょう。
みんなの稲荷公園(岩手県盛岡市)

2013年7月24日

409/1000 志波城古代公園(岩手県盛岡市)

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7~11世紀ごろ(飛鳥時代~平安時代)、ヤマト政権は東北地方へジワジワと勢力を伸ばしていきます。この際に、政庁、饗応の場、防御施設などとなる拠点施設「城柵」が築かれました。城柵は方形の区画の中心部に官衙建物を置き、役人や兵士の住居がそれを囲み、大外周りは土塀などの防御施設で囲ったもので、城柵周辺は開拓地となって農民が住まわされていたそうです。
東北の城柵(新潟も含む)は20ヵ所くらいがあったとされており、有名なのは坂上田村麻呂が対蝦夷戦の拠点とした多賀城(宮城県多賀城市)ですが、田村麻呂はその後も北へと侵攻し、現在の盛岡市に新たな拠点を築きます。これが志波城(しわじょう,しわのき)で、803年~812年頃の約10年間使われたそうです。
この志波城跡が国史跡となり、盛岡市によって「志波城古代公園」として調査と復元整備が進められています。
志波城古代公園(岩手県盛岡市)

2013年7月23日

408/1000 岩手公園(盛岡城跡公園)(岩手県盛岡市)

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岩手公園(盛岡城跡公園)は、国史跡である盛岡城跡を中心とする公園で、日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選に選ばれています。
明治期の開園当初のデザインには、明治から大正にかけて活躍した著名な公園設計者・長岡安平が携わったとのことで、国史跡としての保存管理計画の策定にあたって当時の公園の設計概要や改変箇所などが明らかにされています。

城跡ではあるのですが、明治になってから城内に県庁ができたり、大きな神社が遷座したり、戦後の引揚者が神社参道に市場を作ったり、都市計画道路が城内を貫いたりと色々あって今の姿になっています。

いわゆる公園っぽい雰囲気を持っているのは、かつての堀を埋めて作った池(鶴池、亀池)、御台所跡の広場などです。
岩手公園(盛岡城跡公園)(岩手県盛岡市)
岩手公園(盛岡城跡公園)(岩手県盛岡市)

2013年7月22日

407/1000 杉土手緑地(岩手県盛岡市)

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盛岡市内を歩いていて、たまたま見つけた川沿いの緑地です。

道路標識で名前を見かけ、「江戸時代に改修された川土手に杉を植えて並木にした」といった話を想像してつつ訪ねてみると、そこには確かに土手と並木があったのですが、植えられていたのはヒマラヤスギでした。
う~ん、ここは在来種で攻めて欲しかった。
杉土手緑地(岩手県盛岡市)
杉土手緑地(岩手県盛岡市)

隣接する町名の由来についての説明の中で、杉土手についても書かれていました。
詳しくは書かれていませんが、江戸時代から「杉土手」と呼ばれていたようです。

盛岡市HP『盛岡市町名由来記』より大沢川原小路(おおさわかわらこうじ)

(2013年4月訪問) 

2013年7月21日

406/1000 甲斐町公園(堺市堺区)

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堺市の中心地に近い甲斐町(かいのちょう)は、室町時代から今に続く古い町名です。歌人の与謝野晶子の生家もこの辺りにあったそうです。
もっとも、空襲からの復興にあたって町割りがずいぶん変わり、町名も甲斐町東、甲斐町西に分かれており、そのものずばり甲斐町を名乗るのは公園くらいです。

公園の開設は1951年(昭和26年)ということなので、戦災復興の区画整理で整備された公園だと思われます。
甲斐町公園(堺市堺区)

老朽化が進んでいたことから5年ほど前にリニューアルされ、周囲からの見通しの良い広場、道路からもよく見える花壇、シンボルとなるクスノキの周りに配置された遊具などが魅力的な公園として生まれ変わっています。
甲斐町公園(堺市堺区)
甲斐町公園(堺市堺区)
甲斐町公園(堺市堺区)

トイレも、建物は古いままですが、ペンキを塗り直し、周囲には花の植栽を多くすることで美しく保たれています。
公園のトイレの周囲は、どうしても公園の中でも浮いてしまうというか、見苦しいものが溜まって来がちなところなのですが(管理する側もついそこら辺に落ち葉を集めてしまったりしてしまいがち)、そこを花で覆ってしまうというのは良いアイディアだと思いました。
甲斐町公園(堺市堺区)

(2013年6月訪問)

2013年7月20日

405/1000 高池前公園(福島県相馬市)

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高池前公園は、除染作業の真っ最中で入ることができなかったNo.404の川沼西公園から東へ300mほど離れたところにあり、歓喜寺というお寺の周りを囲むように配置された小公園です。

こちらは除染作業の途中という感じで、訪れた時には作業はおこなわれていませんでしたが立入禁止となっていました。
一連の除染作業のうち、植栽の刈込作業はすでに終わったのか、袋詰めにされて公園の隅に仮置きされていました。
高池前公園(福島県相馬市)
高池前公園(福島県相馬市)

2013年7月19日

404/1000 川沼西公園(福島県相馬市)

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No.403の馬陵公園(相馬中村城跡)から500mほど北へ行った住宅地の中にある小公園です。
そのような距離なのですが、もともと相馬の城下町は城の南・東側に発展していたようで、この公園の周りは歴史的町並みとは無縁な、区画整理された住宅と小規模な商業施設の混在地です。
川沼西公園(福島県相馬市)

道を挟んだ北隣には、相馬市立の中央児童センターがあり、両者が一体となって地区の中心的な公園となっている様子がうかがえます。
川沼西公園(福島県相馬市)

2013年7月18日

403/1000 馬陵公園(福島県相馬市)

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馬陵公園は、江戸時代の相馬中村藩の藩庁であった中村城(相馬中村城;別名・馬陵城)跡を公園としたもので、日本の歴史公園100選に選ばれています。

城内にあった「中村城見取り図」と現在の公園を見比べてみると(案内図の前にツツジが茂ってよく見えないのですが)、本丸、東西南北の各二の丸が公園となっているほか、公園にはなっていない三の丸、内堀なども比較的よく形を残していることがわかります。
馬陵公園(福島県相馬市)

2013年7月17日

402/1000 小鳩公園(岩手県久慈市)

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1978年(昭和53年)発行の『日本公園百年史』の附表によれば、小鳩公園は1968年(昭和43年)に区画整理事業によって生まれた公園となっており、久慈市内では一番古い都市公園ということになります。
小鳩公園(岩手県久慈市)

現地の解説板によれば、この公園西側の路地を入ったところに八戸藩の代官所があったそうで、政治・文化の中心地だったということです。
現在は「道の駅くじ やませ土風館」がすぐ隣にあり、久慈観光の中心地となっています。
小鳩公園(岩手県久慈市)

2013年7月16日

401/1000 巽山公園(岩手県久慈市)

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2013年春から始まったNHKの朝ドラ「あまちゃん」の舞台である架空のまち・北三陸市のモデルおよび撮影地となったのが岩手県久慈市。
その町の中心にあるJR八戸線の久慈駅から徒歩10分、まちを見晴らす丘の上にあるのが巽山公園です。
巽山公園(岩手県久慈市)

2013年7月15日

ウマ型22~揺れる動物

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ウマ型21によく似ていますが、頭部の形状などが異なる揺れる動物。
ウマ型21と比べると、目と口がないだけで随分と埴輪っぽさが消えるのですから不思議なものです。
ウマ型22

2013年7月14日

ウマ型21~揺れる動物

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騎乗部がすべて木製で、揺れる動物の原点である木馬を現代に蘇らせたかのような物件です。

トリ型17と並んで設置されていたのですが、こちらもなぜか埴輪のデザインと相通じるものを感じてしまいます。
黒い穴がボンヤリと開いた目、ポカンとした口のせいでしょうか。
揺れる動物(ウマ型21)

2013年7月13日

イヌ型4~揺れる動物

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意外に見つかっていないイヌ型の揺れる動物。

トリ型15と並んでいたので、一瞬こちらもトリかと思いましたが、前足と尻尾がはっきりしているのでイヌ型だと思い直しました。
顔のとんがりは同じような形ですが、トリだとくちばし、イヌだと鼻になります。
揺れる動物(イヌ型4)

2013年7月12日

トリ型20~揺れる動物

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トリ型5と同じボディで、塗装の色目、模様を変えてきた新バージョンのようですが、嘴が少し長くなっているようにも思います。
揺れる動物(トリ型20)


2013年7月11日

ウサギ型8~揺れる動物

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シルエットが美しいウサギ型の揺れる動物ですが、木製ゆえの悲しさで、耳の部分に火をつけられたような跡があります。
ウマ型18と同じシリーズと思われます。
揺れる動物(ウサギ型8)

2013年7月10日

トリ型19~揺れる動物

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弥生時代や古墳時代には、トリは死者の魂を来世に運ぶものとして捉えられ、トリ型の埴輪や木製品が作られたそうです。

こちらの揺れる動物には、そのような信仰は一切関係ないはずなのですが、どこか埴輪で見たようなデザインになっています。
木製なのでシンプルなデザインを採用していくと、古代人のデザインに似てきてしまうのでしょうか。
揺れる動物(トリ型19)


2013年7月9日

トリ型18~揺れる動物

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アメコミ調のデザインが魅力的なトリ型14の近縁種。足載せや持ち手の形状が異なります。
ペンキは塗り替えられていると思われ、目の表情などアメコミというよりは日本のマンガ調になっています。
採集地では、残念ながら使用禁止となっていました。



2013年7月8日

トリ型17~揺れる動物

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ボディや足の形状から見てトリ型8の兄弟であるのは間違いないようですが、目の感じはずいぶんと落ち着いています。

それにしても、この鳥はなんでしょう。
ボディの白&黒デザインから見てコウノトリ
それともくちばしが太いので有名なハシビロコウ
揺れる動物(トリ型17)

2013年7月7日

400/1000 辛島公園(熊本市中央区)

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最近は九州新幹線が通ってJR熊本駅前も賑やかになってきましたが、それでも熊本市の交通ターミナルと言えば、市電とバスターミナルとの結節点にあたり官公庁や商店街にも近い辛島町の界隈です。
この辛島町という町名は、明治時代の市長・辛島格(からしま いたる)に因むものです。
辛島は、当時この場所に広い面積を占めていた陸軍の練兵場を郊外に移転させ、跡地を新市街地として発展させる礎を築いた人物です。

こちらが辛島公園の中にある辛島格の顕彰碑。碑は古いものですが、横に新しい解説板が建てられていました。
しかし、この解説板がガラスかアクリルかの透明板に文字を刻んだもので、後ろが透けたり周りが写り込んだりして、読みにくいことこの上なし。実用レベルとはとても思えない代物でした。

●辛島格顕彰碑
辛島格先生は、安政元年(1854)城下の塩屋町に生まれ、明治30年(1897)から大正2年(1913)まで16年間熊本市長を勤められ、同年亡くなられました。
その間、市の中心部を占めていた山崎練兵場を郊外に移して跡地を新市街とし、また市の基本財産の造成や教育事業の振興などに大きな功績を残されました。
熊本市は、明治41年に新市街の一部を辛島町と名付け、大正10年にはこの顕彰碑を建ててその功績を称え、昭和34年に開設されたこの公園も辛島公園と命名しました。
熊本市

2013年7月6日

399/1000 荷川取公園(沖縄県宮古島市)

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宮古島市・平良の市街地の北に隣接して、荷川取(にかどり)地区があります。
地区内の海の方には荷川取漁港があり、そちらにも公園があるのですが、荷川取公園は少しだけ内陸に入った川沿いの森と、川を挟む丘を使った公園です。

主要な道路から少し奥まったところにある荷川取公民館のさらに奥、かなりわかりにくい場所に中央入口があります。宮古島に住んでいても存在に気づいていない人が結構いるのではないかと心配になります。
荷川取公園(沖縄県宮古島市)

中央入口を入ると左手に遠見台と多目的広場、右手に体験学習広場と自然観察広場、まっすぐ進むと川を渡って東側の広場があります。

2013年7月5日

コアラ型6~揺れる動物

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コアラ型2コアラ型5とボディは共通の揺れる動物。
コアラ型5とは足載せ部の形状が異なるのですが、コアラ型2ほども安全設計にはなっておらず(金属棒が突きだしたような形状はそのまま)、5→6→2の順に改良されていったのではないかと思われます。
揺れる動物(コアラ型6)

398/1000 大嶽城址公園(沖縄県宮古島市)

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大嶽(おおたけ)城址公園は宮古島のほぼ中央に位置し、島内ではもっとも高い野原岳の東峰にある総合公園です。一帯は大嶽(うぶたき)城跡で、公園の西隣には航空自衛隊の宮古島分屯基地(レーダーサイト)があります。
都市公園としての名称は「大嶽城址公園」ですが、合併前の旧・上野村に含まれることから「上野大嶽城址公園」と呼ばれることも多いようです。

宮古島の歴史、沖縄の城のことについては知識不足なので、ひとまず現地の解説板を転記しておきましょう。
ただ、この解説板は市のHPに掲載されている史跡解説と見比べると違っている箇所が多く(どちらが正しいのかは知りませんが)、とくに重要な人名や史料名が違っているあたり、イマイチ頼りにならない印象です。
大嶽城址公園(沖縄県宮古島市)

2013年7月4日

397/1000 海軍壕公園(沖縄県那覇市、豊見城市)

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沖縄県立の海軍壕公園は、那覇市と豊見城市の市境あたり、沖縄戦の当時に日本海軍の司令部壕(地下壕)が置かれた丘陵地にある公園です。
中核となる施設は戦争遺跡である海軍司令部壕、資料館、慰霊塔などですが、もともとが琉球王朝時代に那覇港への入港を見張るヒバンムイ(火番原)が置かれた眺めの良い場所であり、またレクリエーション的な施設も多く設けられた公園となっています。

丘の頂上にあるのが、海軍戦没者慰霊之塔。終戦後は荒れ果てていた壕跡ですが、まず遺骨収集が実施され、それから慰霊塔の建設、地下壕の復元整備と公開、周囲の公園としての整備という流れで現在に至ります。
塔の周囲にある高木は、戦没者の出身地や部隊関係者の方々の記念植樹が含まれています。
海軍壕公園(沖縄県那覇市、豊見城市)

2013年7月3日

396/1000 津知公園(兵庫県芦屋市)

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No.391は那覇市の辻公園でしたが、こちらは芦屋市の津知(つち)公園です。

芦屋市の西部、国道2号線沿いで神戸市東灘区と接する津知町(つちちょう)は、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた地区の一つです。芦屋市のサイトによれば、低層の戸建て住宅中心だった津知と隣接の川西地区において実に92%の建物が全半壊(409棟中、全壊332棟、半壊46棟)、別の資料によれば一部損壊も多く無傷だったのは1戸だけだったということです。

震災の直後から、地区内の津知公園には多くの避難者が集まり、避難所、救援物資集配所、貴重品保管所、ボランティアセンターなどとして機能する自治的なテント村が形成されました。

2013年7月2日

395/1000 尻内西公園(青森県八戸市)

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尻内西公園は八戸駅を行き交う列車がよく見える場所にあり、川沿いの道路と細い水路とに囲まれた三角地の公園です。雰囲気としては、駅周辺の区画整理による住宅開発にあわせてつくられた児童公園といった感じです。

出入口の車止めがカラフルで楽しげです。
尻内東公園(青森県八戸市)

2013年7月1日

394/1000 尻内中央公園(青森県八戸市)

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JR八戸駅は、八戸の中心市街地からは5キロほど離れた八戸市尻内町にあります。
もともとは尻内駅という駅名で、市街地に別に八戸駅があったのですが、40年ほど前に駅名変更があって旧・尻内駅が八戸駅に、旧・八戸駅が本八戸駅になったそうです。
そういうわけで、八戸駅から徒歩2分のところにあるのが尻内中央公園です。

No.363の尻内東公園と基本的な構成は似ているのですが、多目的に使える草広場を中心に、広場の周りに遊具が数点、外周部にはサクラの植栽が並びます。
尻内中央公園(青森県八戸市)
尻内中央公園(青森県八戸市)