476/1000 衣掛公園(神戸市須磨区)

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須磨区衣掛町は、平安時代の歌人・在原行平が須磨に暮らしていた折の伝承にちなむ町名です。その衣掛町の東端、妙法寺川の西岸に沿ったところにあるのが衣掛公園です。

475/1000 妙法寺川公園(神戸市須磨区)

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神戸市須磨区を流れる妙法寺川沿いでは、戦災復興都市計画にもとづいて川の両岸に緑地帯(公園)が連なっているところなのですが、公園としては一まとめにはならず、部分々々で別の公園となっています。
No.473の下中島公園の北端から4車線の道路(中央幹線:かつての西国街道)を渡ると、川の両岸を使った妙法寺川公園が始まります。川沿いの公園ということで、基本的には細長い敷地に並木と遊歩道が続き、ところどころに遊具広場があるという構造です。
妙法寺川公園(神戸市須磨区)妙法寺川公園(神戸市須磨区)

474/1000 妙法寺川左岸公園(神戸市須磨区)

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No.473の下中島公園から川幅15メートルほどの妙法寺川を渡ったところ、その名の通り妙法寺川の左岸にある新しい公園です。
もともと、この場所にはJR西日本の鷹取工場がありました。明治時代から続く大規模な車両工場だったのですが、阪神・淡路大震災で工場に被害が出たこと、またそれ以上に周辺地域の被害が大きく、復興事業用地への転用が行政から望まれたこともあり、2000年(平成12年)に工場は閉鎖されました。
その後、震災復興区画整理事業が実施され、復興住宅、小学校、公園などが整備されました。これによって生まれた公園のひとつが妙法寺川左岸公園です。

その公園の入口には、レールと車輪のモニュメント。鷹取工場の記憶を残すものでしょうか。
...と思いながら横にあった解説板を見ると「神戸市営地下鉄のレールと車輪」と書かれていました。市営地下鉄は川崎重工製で、鷹取工場と直接の関係はありません。
う~ん、せっかくなので鷹取工場のものを使って欲しかったところですが、タイミング良く入手できなかったのでしょうか。工場を廃止して更地にする過程では具体的にどんな公園にデザインするのかは決まっていませんから、いちいちレールなんか保存していられませんし。
妙法寺川左岸公園(神戸市須磨区)
妙法寺川左岸公園(神戸市須磨区)
●現地の案内板より「妙法寺側左岸公園は、JR鷹取工場の跡地にできた公園です」
 JR鷹取工場の跡地は、平成9年(1997年)3月、震災復興住宅の建設や防災拠点としての整備を図るため、新長田駅北地区震災復興土地区画整備事業区域に鷹取北エリアとして新たに加えられました。
 鷹取工場は、明治33年(1900年)に「山陽鉄道株式会社 鷹取工場」として開設され、敷地面積は17.6haで、妙法寺川左岸公園の約10倍もの広さがありました。当時は鉄製石炭車や橋桁等を製作していましたが、その後蒸気機関車や客車、貨車の新製・修繕を行うようになり、工場内には、鍛冶、鋳物などの工場の他に機関車組立、機械旋盤工場、食堂や浴場、合宿所等が新設され、最大で3,870人の鉄道技術者が働いていました。第二次世界大戦後は、電気機関車の修繕を行うなど発展を続け、鉄道工場としては「東の大宮、西の鷹取」と呼ばれました。
 平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災では、建物の90%が被害を受け、一時は完全に操業不能になりました。一方で工場周辺一帯も火災や建物の倒壊による甚大な被害を受けました。周辺の消火活動に工場の貯水槽の水を使用したり、近隣で被災した人たちのために工場施設を避難場所として提供したり、浴場を一般に開放したり等、地域とともに未曾有の大震災を乗越えました。同年8月の避難所解消までの避難者総数は230名、浴場の利用者は延べ15,685名にも及びました。
 妙法寺川左岸公園では、神戸市営地下鉄で使用していたレールや車輪などの展示や、駅舎をイメージした休憩所や便所、汽車の形をした遊具など、鉄道にちなんだ施設を設置しています。

473/1000 下中島公園(神戸市須磨区)

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下中島(しもなかじま)公園は、神戸市須磨区を流れる妙法寺川の右岸沿い、2012年に移転した須磨区役所跡に隣接する公園です。
このあたりは、戦災復興都市計画にもとづいて河川沿いに緑地帯(公園)が連なっているところなのですが、公園としては一まとめにはならず、部分々々で別の公園となっています。

まずは公園の南端、区役所の目の前にある広場の様子です。
阪神・淡路大震災の後は、ここが須磨区の救援拠点となり、所狭しと避難所、支援物資の集配所、炊き出し、行政の仮設窓口などが置かれてごった返していたことを思い出します。
手前に見えるモニュメントは震災前からあったものですが、地震でひび割れたものをそのまま残してあります。
下中島公園(神戸市須磨区)

472/1000 久米公園(沖縄県那覇市)

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久米公園は、那覇市の幹線道路である国道58号線からわずかに西に入った住宅、オフィス、料亭などが混在する地区の、沖縄県青年会館の隣にある小公園です。

体裁はブランコ、シーソー、鉄棒、雲梯などのある児童公園仕立てなのですが、場所柄、近くのオフィスに勤める方々の休憩、地域住民の立ち寄りなども多いのではないかと思います。

デイゴの巨木のほか、ブーゲンビリア(多分)の公園門など緑や花も多く、地域の方々に愛されている様子が伝わってくるような公園でした。
こういう古くてもきれいにされている公園にくるとホッとします。

(2013年2月訪問)

471/1000 松山公園(沖縄県那覇市)

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松山公園は那覇市街地の西部、那覇商業高校の隣にあります。

もっとも、公園内には松山小学校(松山尋常小学校、松山国民学校)の跡の記念碑、県立第二高等女学校跡の記念碑がありますので、現在の商業高校と公園の敷地にまたがって小学校と高等女学校があり、沖縄戦で焼き尽くされた後に改めて商業高校と公園とが配置されたのではないかと思います。
きちんと調べないとよく分かりませんが。

470/1000 犀ヶ崖公園(浜松市中区)

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徳川家康と武田信玄の軍勢が戦った三方ヶ原の合戦の折に、徳川方は三方ヶ原で破れて浜松城へ逃げ帰ったわけですが、ただ城に籠もったわけではなく、夜になって反撃に出たそうです。
その場所が犀ヶ崖(さいががけ)で、この史跡の周りを公園にしたのが犀ヶ崖公園です。

●現地の解説板より「犀ヶ崖」
犀ヶ崖と呼ばれる範囲は、はっきりしないが、この付近から下流約450メートルの間に、急な崖が連続している。この付近では、幅約30メートル、両岸とも深さ10数メートルの絶壁をなす。
元亀3年(1572)12月22日、徳川家康は三方原において武田信玄に一戦を挑んで敗け、浜松城に逃げ帰ったが、その夜犀ヶ崖付近で徳川方が、地理に暗い武田方を急襲して、この崖に追い落としたと伝えられる。
崖上の宗円堂には、この戦による両軍の死者の霊が祀られており、その霊を慰めるため、毎年遠州大念仏が行われる。静岡県指定史跡。
浜松市

ちなみにNo.468469で登場した「布橋」という地名は、雪が降る中、この崖に白布を渡して擬装し、武田方を欺いて追い落としたという伝承に因むものです。

469/1000 布橋北児童遊園(浜松市中区)

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布橋北児童遊園は、浜松市街地にほど近い、やや古い住宅街の中にあります。
変形敷地で三方を住宅に囲まれ、出入口は一つだけ。園内には滑り台、鉄棒、砂場、トイレなどがあります。
地域にとっては意味のあるオープンスペースだと思いますが、これといった特徴があるわけでもないので、ブログ記事にしづらい公園です。
布橋北児童遊園(浜松市中区)
布橋北児童遊園(浜松市中区)

468/1000 城北公園(浜松市中区)

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城北(じょうほく)公園は、浜松市中区の城北という町の隣、布橋2丁目の住宅地の中にあります。
今までに経験したパターンを踏まえれば、おそらく住居表示の導入や町名変更によって、かつては城北にあった公園が現在は布橋2丁目に含まれているということなのだろうと思います。

三方を住宅に囲まれた立地で、唯一の出入口は風呂屋のような細かいタイル仕立てです。緩やかな曲線も効いていて、なかなか美しい出入口だと思います。
城北公園(浜松市中区)

467/1000 文丘小公園(浜松市中区)

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No.370の和地山公園の近くで見つけた小さな公園です。
文丘小公園(浜松市中区)

柵も園名板もなく、都市公園にしてはスッキリしすぎているので、自治会の自主設置など違う系統の下にある公園なのだろうと思います。なにしろ公園名からして不明なので、とりあえず園内の公衆電話に書かれていた「通称名」を使わせてもらっています。
文丘小公園(浜松市中区)

466/1000 住吉公園(浜松市中区)

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住吉公園は丘陵地を開発した住宅地の一角にあり、丘の上と下とが公園になっています。
正確な公園区域はわかりませんが、おそらく上下の間の斜面も公園区域に含まれ、斜面緑地の保全に一役買っているものと思われます。
住吉公園(浜松市中区)

そういう立地の公園といえば、これ。コンクリート製の巨大滑り台ですね。
ここの場合は、滑り台になっている部分の倍ぐらいの幅で、鎖を持ってよじ登るクライミング崖も設置されています。
滑り台そのものはズバ抜けて大きいと言うこともありませんが、崖とあわせた規模としてはかなり巨大です。
住吉公園(浜松市中区)

465/1000 浜松城公園(浜松市中区)

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浜松市の歴史的シンボルである浜松城。その城址を公園としたのが浜松城公園です。以前は動物園やスポーツ施設も公園内にあったそうですが、徐々に移転し、その代わりに日本庭園や森などを整備して、城址公園らしい落ち着いた公園になってきています。
すぐ隣にある市役所に用事があり、そのついでにかけ足で立ち寄っただけなので、少ない写真で公園のさわりだけ。

さて浜松城は、徳川家康が30代の頃に拠点とした城です。その前は岡崎城、その後は駿府城へと拠点は移ります。
ということで、公園内には「若き日の徳川家康公」像が。戦国時代の30代は若いのかという疑問も生じますが、まぁ武田信玄に三方ヶ原で翻弄されていた頃ですので、まだまだ若かったということなのでしょう。
浜松城公園(浜松市中区)

464/1000 宮田町公園(横浜市保土ヶ谷区)

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No.460の追分公園の回で登場した芝生の追分ですが、ちょうどその辺りに横浜市西区と保土ケ谷区との区境があり、今回の宮田町公園は保土ケ谷区にあります。
住宅地の中の三角地を利用した2,000平米ほどの公園で、さほど広いというわけでもないのですが、古い住宅地区にとっては貴重なオープンスペースです。また、すぐ近くに松原商店街があり、子供連れのお母さん方やお年寄りなど、買い物ついでにちょっと立ち寄るのにちょうど良い公園です。
宮田町公園(横浜市保土ヶ谷区)
宮田町公園(横浜市保土ヶ谷区)

463/1000 平沼さわやか公園(横浜市西区)

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平沼さわやか公園は、横浜市のポンプ場施設の屋上に設置された公園です。
平沼さわやか公園(横浜市西区)

外側から見るとこんな感じ。マンションやガスタンクよりも手前に見ている白い建物がポンプ場施設です。
平沼さわやか公園(横浜市西区)

462/1000 社宮司公園(横浜市西区)

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社宮司(しゃぐうじ)公園は、横浜市西区の住商混交の古い住宅地の外れにある公園です。6,000平米ほどあって、ちょっとしたスポーツや、幼稚園の運動会くらいは十分にできる広さです。

公園の敷地は大雑把に2分割されており、一方がトラック状の周回路に囲まれた草地の広場、もう一方がケヤキなどの高木に包まれた遊具広場です。遊具広場と言っても一角に遊具がまとまってあるわけではなく、高木の下にポツポツと広がって設置されていて、公園のスケール感にあった配置になっています。

草地広場はこんな感じ。
一角にはサクラが植えられており、季節になれば花見にもちょうど良いのではないかと思います。
社宮司公園(横浜市西区)

461/1000 大新田公園(横浜市西区)

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横浜市西区の古い住宅地の中にある小公園です。
広場を中心に小さな複合遊具、ブランコ、砂場などの遊具が周りを囲み、休憩用のパーゴラもあります。
大新田公園(横浜市西区)
大新田公園(横浜市西区)

460/1000 追分公園(横浜市西区)

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追分公園は、旧東海道沿いの古い住宅地の中にある小公園です。
追分公園(横浜市西区)

小さな広場にブランコと砂場。そしてよく繁った樹木と小さな花壇。
街区公園のミニマル・コンパクトな感じです。
追分公園(横浜市西区)

459/1000 浅間車庫前公園(横浜市西区)

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横浜市バスの浅間車庫(浅間町営業所)の隣にある小公園です。
バス営業所と同一の敷地内には屋内プールなどの入った西スポーツセンターがあるので、直近の方以外の利用もあるような気がします。
浅間車庫前公園(横浜市西区)
浅間車庫前公園(横浜市西区)

458/1000 戸部公園(横浜市西区)

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戸部公園は、横浜市西区役所の近くにある公園です。
道向いには小学校もあり、なにかと使い勝手の良さそうな雰囲気が漂います。

園内は細い車道を挟んで2つのブロックに分かれており、北側はフェンスに囲まれた球技広場、区役所に近い南側が遊具広場や多目的広場、園地などのあるブロックです。
戸部公園(横浜市西区)

457/1000 岡野公園(横浜市西区)

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岡野公園は2haほどあって、市街地ではかなり規模の大きな公園です。
青々とした芝生の野球場、25mプールや子供プールを備えており、西区の市民スポーツの一つの拠点になっているのではないかと思います。
また隣接地には高校や中学校もあり、防災上も重要な位置にあります。
岡野公園(横浜市西区)
岡野公園(横浜市西区)

456/1000 新田間公園(横浜市西区)

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横浜市街地を東西に流れる帷子川が、横浜駅も近くなった下流付近で二本の川に分かれます。きっと古い時代には、河口付近の砂州が島のようになって流れを分けていたのだと思いますが、今は川も島もしっかりと固められ、島の中にはビブレやダイエーがあります。その二本の川のうち、北側を流れる川が新田間川で、その畔に新田間(あらたま)公園があります。
新田間公園(横浜市西区)

455/1000 楠町公園(横浜市西区)

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首都高三ツ沢線のインターチェンジのすぐ横にある小公園です。
インターチェンジ、交通量の多い幹線道路、大型マンション、ポンプ場に囲まれており、また幹線道路からは階段を上っていかないと公園の全容が見えない構造になっており、それほど居心地のよい空間ではありません。が、そういう場所だからこそ公園緑地が必要だとも言えます。
楠町公園(横浜市西区)

454/1000 軽井沢公園(横浜市西区)

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横浜駅から歩いて15分ほどのところに「軽井沢」という地名があります。現在の町名では、西区北軽井沢、南軽井沢にあたります。
近くには浅間山の神様を祭る浅間神社もあって、避暑地で有名な長野県の軽井沢との共通点も感じられますが、とくに具体的な関係があるわけではなさそうで、どちらも地形条件などから付いたもののようです。
横浜市西区のホームページ(区の町名とそのあゆみ~か行の町名~)では、北軽井沢について次のように紹介しています。

柳田國男が「地名の研究」の「地名考察」に「カルイザワは涸渓の義で吉田博士も水源枯渇の渓頭の意味としているが、この説は事実と合わない。サワとはもともと水ある谷のことである。それならば軽井沢の元の意味はどうかというと、荷をカルワという動詞の連体言カルイであろうと思う。カルウは普通の辞典には見えないが背負うという意味の中古の俗言である。」と述べているが、最近の地名研究では水の枯れたサワの「カレイ沢」説が有力になっているという。

さて、南軽井沢にある軽井沢公園。
交通量の多い幹線道路から少し中に入ったところにあり、谷地・斜面地の林に囲まれているため、思いがけず落ち着いた雰囲気のある公園です。このあたり、さすがは軽井沢と言うべきでしょうか。
軽井沢公園(横浜市西区)

453/1000 霜下公園(横浜市西区)

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霜下(しもした)公園は車通りの多い幹線道路に面したところにあり、非常にスッキリと整った形の小公園です。
この公園専用ではないかと思うような位置に歩道橋があり、道向こうから渡ってきながら、公園全体を見渡すことができるので安全管理の面でも優れています。
霜下公園(横浜市西区)

452/1000 神明下公園(横浜市西区)

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崖下にあって「神明下」という名前なので、崖の上に神明神社があるのではないかと思いましたが、GoogleやYahoo!の地図では見あたりませんでした。ちなみに、すぐ近くに浅間下公園もあり、そちらは浅間神社のすぐ下にあります。
神明下公園(横浜市西区)

451/1000 沢渡第二公園(横浜市神奈川区)

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沢渡第二公園は、No.450の沢渡中央公園から細い道を挟んだ斜向かいにある公園です。
大きな公園のすぐそばにあるためか、非常にこぢんまりとして地味な印象の公園です。
沢渡第二公園(横浜市神奈川区)

これでほぼ全景。大きなケヤキの樹が目立ちます。
沢渡第二公園(横浜市神奈川区)

450/1000 沢渡中央公園(横浜市神奈川区)

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沢渡中央公園は、横浜駅西口から北へ7~8分ほど歩いたところにあります。
もともとは旧・通産省の繊維試験所(現在は統合・独法化されて産業技術総合研究所)があった場所を1984年(昭和59年)に公園としたもので、当初から防災目的のため市民防災センター(消防署&展示施設)と一体的に整備されています。

ここに限らず、東京や横浜では「以前は国の施設があったけれど筑波に移転したので、跡地を公園にした」というものをちょくちょく見かけます。
日頃は「筑波に研究学園都市をつくった」ことの方に目が向きますが、都心部から見れば新しい公共オープンスペースを生み出す契機だったわけで、この公園では、そのあたりがしっかり記念されています。
沢渡中央公園(横浜市神奈川区)

449/1000 台町公園(横浜市神奈川区)

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No.448の上台町公園のすぐ北に台町公園があります。
上台町公園は崖の頂上にありましたが、こちらは崖から降りていく途中の斜面地を造成したものです。また上台町は「かみだいちょう」でしたが、こちらはなぜか「だいまち」公園と読むようです。
野球場1面をもち市街地にしては広めで、また最近に大がかりな改修があったようであちこちがピカピカしている公園でした。

野球場から崖上の方向を見上げるとこんな感じ。
灌木で「DAIMACHI」と書かれている上、高木の陰に隠れている白っぽい擁壁の上が道路なので、野球場との高低差は10メートルくらいあるでしょうか。
台町公園(横浜市神奈川区)

448/1000 上台町公園(横浜市神奈川区)

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横浜駅の北500mほどのところを、旧東海道が通っています。街道は切り立った台地の崖そばを通っており、かつては海沿いの景勝地として知られた場所だったということです。
幕末には、このあたりに神奈川宿の西関門が置かれていたそうで、現在は旧街道沿いに神奈川台関門跡、袖ヶ浦見晴所の記念碑が設置されています。
上台町公園(横浜市神奈川区)

その崖のあたりの高くなった土地が古くは台町(だいちょう)と呼ばれており、その中でも一番高い所に上台町(かみだいちょう)公園があります。
周囲はURの団地に囲まれており、それと同時期に開設されたのではないかと思われます。
上台町公園(横浜市神奈川区)

447/1000 求女塚東公園(神戸市東灘区)

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現在の東灘区と灘区の境目あたり、昔の海岸線に沿い、200mほどの間隔を置いて3つの古墳が並んでいます(いました?)。
古い時代には浜街道からよく目立ったのでしょう、二人の男から求婚された娘が「争いはやめて!」と自ら命を絶ち、男たちも後を追ったという伝説に因む塚だとして、真ん中が娘の墓「処女塚(おとめづか)」、東西二つが男たちの墓「東求女塚」「西求女塚」と呼ばれてきました。
それぞれ古墳としての保存状態は異なるものの、3つともが都市公園となっています。

No.446の求女塚西公園でも同じ始まり方をしましたが、話の流れ上、以上再掲。
さて今回は、そのうちの東求女塚古墳ですが、こちらも公園名は「求女塚東」です。なぜ古墳名と公園名が逆さまになっているのか、理由は不明です。