500/1000 御勝山南公園(大阪市生野区)

2013/10/24

古墳 身近な公園 大阪市生野区 大阪府

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No.499の御勝山公園から、勝山通りを歩道橋で渡ると御勝山南公園があります。
ここは5世紀前半につくられた御勝山古墳の前方部にあたりますが、古墳の名残はありません(御勝山古墳についてはNo.499をご覧ください)。

No.499で見たように両公園とも1926年に(大正15年)に堺市に移転した大阪府立農学校の跡地に含まれるのですが、その後に御勝山南公園の箇所には、1933年(昭和8年)~1968年(昭和35年)まで大阪管区気象台があったそうです。
下の写真が公園内にある気象台の記念碑。生野区のHPによれば、関西気象OB会、関西気象旧友会(気象台職員のOB会でしょうか)の手により、2009年(平成21年)に建立されたものだそうです。

●現地の解説板より
大阪管区気象台は、明治15年(1882年)7月、大阪市北区堂島に大阪測候所として設立され、昭和8年(1933年)7月から昭和43年(1968年)7月までの35年にわたり、ここ生野区勝山通9丁目(現 生野区勝山南4丁目)にあった。跡地は現在、御勝山南公園となっている。
この間、大阪府を対象として、日々の観測や天気予報の発表、地震津波情報の発表等を行い、大阪府民の暮らしを支え、気象災害から府民を守る役割を果たしてきた。また、近畿・中国・四国の各県を管轄する、西日本の防災拠点の役割も担っていた。
室戸台風(昭和9年)、ジェーン台風(昭和25年)、そして第2室戸台風(昭和36年)という、大阪に被害をもたらした昭和の三大台風も経験している。
室戸台風では、無線鉄塔が倒壊し観測測器に被害を受けるも、嵐の中、直ちに予備機と交換して観測を続けた。
第2室戸台風に際しては、的確な防災対応により大阪市民を高潮被害から守ったとして、時の大谷管区台長が大阪市民文化賞を受賞している。
また昭和29年(1954年)には、構内に日本で最初の気象レーダーが設置され、台風や梅雨前線等による大雨の監視に大いに活躍した。
大阪管区気象台がかつてこの地にあり、生野区民に親しまれ、また幾多の気象災害や地震が発生した中、大阪府民の暮らしと安全に貢献したことを末永く記憶にとどめるため、ここに記す。
平成21年(2009年)11月
大阪管区気象台長 瀬上哲秀

さて現在の御勝山南公園。
街区公園にしては広めの7700平米もあり、中心に巨大遊具のある広場、外周にはジョギングコース、そしてジョギングコース沿いが林になっていて、ところどころにベンチや休憩所があるという構造です。

公園を特徴づけるのは、なんといっても中央に置かれたコンクリート製の巨大遊具(兼東屋?)。一口で言って「なんだかよく分からない」造形です。
見慣れたタコ型滑り台のような曲線主体の不可思議なデザインでもなく、かといってお城や船をモチーフにしたようなものでもなく、あえて言えば「太陽の塔」に似ているような...(どちらが先に造られたのかは知りませんが)

頂に刻まれたエンブレムのようなものの謎も解き明かしたいところです。

生野区役所にも近いということで、色々と芸術的なモニュメントも設置されています。
気に入ったのは「みんななかよし」の像。小兵力士が足取りで大型力士に挑んでいます。

そして下の写真は子供向けのブランコや砂場のある一角ですが、高齢の男性が集まって青空マージャンに興じていました。
青空マージャン自体はなにも悪いことではないのですが、この雰囲気では小さな子供や子連れのお母さん方は砂場に近づきにくいなぁという気もします。現実にトラブルが起きているという話ではありませんが、もう少し公園内での場所を考えるなど、お互いが気持ちよく遊べるようにできれば良いのですが。

(2013年6月訪問)

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