973/1000 金塚ふれあい西公園(大阪市阿倍野区)

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さ大阪・阿倍野地区の再開発事業地にある公園を尋ねる第3回(最終回)は、3公園の中で最も古い金塚ふれあい西公園です。

大阪市の都市公園一覧によれば、平成15年3月に「旭町公園」から現在名に変更されていますが、旧・旭町公園の設置は1969年(昭和44年)のこと。
再開発以前の航空写真で確認すると、今とは位置・形状が大きく異なっており、再開発事業の中で道路整備・住宅整備などとあわせて、ほぼ新しく作り変えられたようです。

この公園の特徴は、なんと言っても公園全体を取り囲むフェンスでしょう。

972/1000 金塚ふれあい中央公園(大阪市阿倍野区)

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大阪・阿倍野地区の再開発事業地にある公園を尋ねる第2回は、2014年(平成26年)に開園したばかりの金塚ふれあい中央公園です。

開園するまでは「阿倍野再開発2号公園」と呼ばれており、No.971 金塚ふれあい東公園と一体のものとして計画されていました。大阪市の資料によれば、2つ合わせた用地費で70億円、都市計画事業の採択(1981年)から全面開園まで33年を要しており、駅近一等地での公園整備が大変な事業だということがわかります。

971/1000 金塚ふれあい東公園(大阪市阿倍野区)

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JR天王寺駅、近鉄・大阪阿部野橋駅の西側に隣接する金塚(かなづか)地区は、かつては戦前からの木造建物が密集する商業・住宅の混在地区で、よく言えば「人情味あふれる」、悪く言えば「ゴチャついた」町でした。
それが1976年(昭和51年)から始まった市街地再開発事業で徐々に姿を変えていき、大規模なショッピングモール(あべのキューズタウン)、業務ビル、市営住宅やマンション群、大学病院などが建ち並ぶ地区になりました。

そんな再開発事業の中で整備された3ヵ所の公園のうち、いちばん東にあるのが金塚ふれあい東公園です。

970/1000 大阪ドーム北公園(大阪市西区)

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大阪ドーム北公園は、その名の通り、大阪ドーム(京セラドーム大阪)の北側にくっついている公園です。もっとも、ドーム内からは、そんなところに公園があることはうかがい知ることもできません。

969/1000 九条南公園(大阪市西区)

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No.968 九条公園の真西にありますが、名前は九条南公園。所在地が九条南2丁目なので、公園名はそちらから取られたようです。
周囲は駅近の住宅地で、道向かいには九条南小学校もあって、公園としては好立地です。

968/1000 九条公園(大阪市西区)

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大阪市西区では、区の中ほどを北から南へ木津川が流れており、大きく東西に二分されます。そのうちの西側が九条で、江戸時代の初め頃までは現在は此花区に含まれる西九条と繋がった島(九条島)でした。
現在ではJR環状線と阪神電鉄との乗換駅でもある西九条のほうが有名で、九条の方は少し影が薄い印象です。
そんな九条地区の端っこ、大阪ドームの北あたりに九条公園があります。

967/1000 千林橋公園(大阪市大正区)

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No.965で大正区の区域は江戸時代の新田開発にちなむ地名・町名が多いことに触れましたが、橋の名前にもそれは残っており、この付近は東成郡千林村(現在の大阪市旭区千林)の岡島嘉平次が開いた新田地帯だったそうです。
今はどちらも大阪市内なのに千林と千林橋は全く違う所にあるので、少しややこしいところです。

966/1000 泉尾上公園(大阪市大正区)

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No.965の南泉尾公園からは直線で700メートルほど離れ、おそらく小学校区も別だと思われる泉尾(いずお)1丁目に泉尾上公園があります。
二筋離れたところに泉尾商店街という今も賑やかな商店街があり、また市営住宅や保育所なども近いため、よく使われている感じのする公園です。

965/1000 南泉尾公園(大阪市大正区)

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南泉尾公園は、大正区の泉尾東小学校の北側にあります。
東なのか北なのか南なのか、方位表現がわけ分からなくなっている上に、町名変更もあってか所在地の住居表示は千島一丁目(泉尾という町名の区域は別に残る)という難解さです。

964/1000 岩崎橋公園(大阪市大正区)

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さて、No.963の大正橋公園付近には江戸幕府の「木津川口遠見番所」が置かれていましたが、そこから西に300メートルほど離れた岩崎橋公園付近には官船を運用する役所である「御船蔵」が置かれていました。

963/1000 大正橋公園(大阪市大正区)

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No.962 三軒家公園で江戸幕府が設けた川番所のことに触れましたが、その木津川口遠見番所跡の碑があるのが、木津川と尻無川(岩崎運河)の分岐点付近にある大正橋公園です。

962/1000 三軒家公園(大阪市大正区)

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大阪市の大正区は、東を木津川、北~西を尻無川、残りは海に囲まれた島状の土地ですが、もともとは木津川河口の砂州のような土地でした。
三軒家公園のあるあたりも江戸時代の初め頃までは寂しい土地で、家の少なさから「三軒家」と呼ばれたと言いますが、1600年代半ば頃には舟運の要所として家が増え、やがて幕府の番所や御船蔵なども置かれるようになりました。

961/1000 千島公園(大阪市大正区)

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前回は、沖縄の埋立地にある人工的につくられた盛土の山を紹介しました(西原タッチュー)。
今回は、大阪の埋立地につくられた盛土山をもつ千島公園を訪ねます。

その山の名は「昭和山(しょうわざん)」。
1969年(昭和44年)から、大阪万博を目前に控えて進められていた地下鉄工事の残土などを積み上げてつくられた山です。これについて、大正区のHPには次のように書かれています。
「昭和44年9月に発表された『千島計画』は、区のほぼ中央、もと大正運河や貯木池のあった千島町一帯に『港の見える丘』を造るという大規模な計画でした。この人工の山は地下鉄工事の残土など、約170万立方メートル(ダンプカー57万台)の土砂で造られ、標高33mで「昭和山」と命名されました。」
もともと土地の低い大阪の中でも、いちばん海に近い大正区はゼロメートル地帯が広がっています。そんな中に高さ33メートルの小山ができたのですから、当時はかなり目立ったのではないかと思います。

公園内のグラウンド越しに昭和山を見ると、こんな感じ。小山というよりも、丘陵端の尾根のように見えます。

それもそのはずで、じつは昭和山は33メートルピークだけの独立峰ではなく、半分ほどの高さの小ピークを3つも従えた連峰なのです。登山口にはそんなことは書いていませんが。

知らずに訪れて、最初に登ったのは北側にある小ピーク。山頂は噴水になっていますが、訪れた時は停止していました。

気を取りなおして、最高峰を目指します。
最高峰へ至る登山道は、渦巻き状に3本あって、どれも緩やかに登っていきます。

登山道沿いは、梅あり、水仙あり、シュロありと、歩いて楽しい道になっていました。
道がゆっくりと湾曲しているので、少し進む度に違った景色が見えて飽きが来ません。

なかには両手にポールを持って、本格的に登っている皆さんもいました。

山頂はけっこう広く、東屋の周りを園路が巡り、その周りをサクラの樹が囲んでいます。
東屋の再塗装が少々尖った色彩になっているほかは、のんびりと落ち着ける空間です。

しかし東屋の中はまったく落ち着きません。何故にこの色、この文様。

山頂から西方向。大阪湾岸に架かる千歳橋、なみはや大橋、港大橋などが見えます。計画にあった「港の見える丘」が見事に実現しています。もう少し天気が良ければ、六甲の方までよく見えることでしょう。

反対の南東方向も。大阪と和歌山の境にある金剛・葛城の山並みが望めます。

そして山を南に下ると、ワシントンヤシ、シュロ、フェニックスなど南国風の植物を植えた一角がありました。
リトル沖縄こと大正区だからでしょうか。
この写真だけ見ていたら、真冬の大阪とは思えない光景です。

と、このように盛土山を中心にした千島公園。
地下から掘り出したトンネル残土を集めた山とは言え、できてから10年ほどで緑も成長してきていたのでしょうか、1981年(昭和56年)の時点ですでに地元の方々に「山」として認識されていたことが、園内の石碑からわかります。
こちらは「山をきれいに 緑を愛し 健康をつくろう」の碑。

大阪では天保山、茶臼山など人工の低山を愛でる習性があり、そんな方々からも愛されている千島公園と昭和山でした。

(2015年2月訪問)

960/1000 東崎都市緑地(沖縄県西原町)

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No.957959で登場した3公園は、与那原町の東浜(あがりはま)という埋立地にありますが、この埋立地は隣町の西原町の区域にまで続いており、西原町域では東崎(あがりざき)という町丁名に変わります。この東崎地区の一角に、東崎都市緑地があります。

「都市緑地」という名前は法律上の位置づけの話で、中身は普通の公園と変わりません。なにしろ、いきなり園名板から「愛称 イルカ公園」と名乗っているくらいですから。

959/1000 東浜シーサー公園(沖縄県与那原町)

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さて、No.957の与那古浜公園では大型遊具に頼らない公園づくりを称えましたが、与那原町全体の公園がそういう仕立てということはなく、300メートルほど離れた東浜シーサー公園にはバリバリの大型遊具があります。

958/1000 東浜きょうりゅう公園(沖縄県与那原町)

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東浜と書いて「あがりはま」。太陽が上がる東のことを「あがり」と読む沖縄言葉です。でもプロ野球ホークスの東浜選手は沖縄出身ですが「ひがしはま」と読むので注意が必要です。

さて、これまで本ブログでは、沖縄の巨大コンクリート遊具をたびたび取りあげて来ました。

957/1000 与那古浜公園(沖縄県与那原町)

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沖縄戦で破壊される以前、沖縄には県営の軽便鉄道が通っており、那覇を中心に東の与那原(よなばる)、北の嘉手納、南の糸満へ3路線が通っていました。すなわち、No.315 壺川東公園(西)で保存展示されていたレールです。
このうち東の終点だったのが与那原町ですが、与那古浜(よなこはま)公園は当時の駅があった中心街からは少し離れ、遠浅の浜を埋め立てて作られた東浜(あがりはま)地区にあります。

956/1000 佐真下公園(沖縄県宜野湾市)

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佐真下(さました)公園は、米軍・普天間飛行場の西に隣接する公園です。
面積が6,700平米あり、また数台分ですが駐車場もあって、ご近所よりはやや広い範囲からの利用を見込んでいる公園です。

955/1000 ふてんま公園(沖縄県宜野湾市)

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ふてんま公園は、宜野湾市にある普天満宮から東へ200メートルほど離れた住宅地の中にある小公園です。
ちなみに、米軍・普天間飛行場の返還後のまちづくりに関連して、沖縄県が「(仮称)普天間公園」の検討を進めていますが、それとは関係ありません。そしてこちらは平仮名で「ふてんま」と書くのが正式な公園名です。

954/1000 うえはら児童公園(沖縄県宜野湾市)

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うえはら児童公園は、米軍・普天間基地の南側に隣接する返還跡地の住宅地区にある小公園です。
普天間基地に隣接する返還跡地に建ち、平和をテーマにした展示で有名な佐喜眞美術館に隣接しているため、観光ですぐそばまで来て公園をご覧になった方もいらっしゃるかも知れません。
こちらが美術館の外観。

953/1000 ちゅんなー公園(沖縄県宜野湾市)

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ちゅんなー公園は宜野湾市喜友名にある小公園で、「ちゅんなー」は「喜友名(きゆな)」の方言読みです。
接道部が1ヵ所だけで最低限の間口しか無く、細い通路を抜けていった先で広がっている、いわゆる旗竿型の敷地です。住宅だったら、安く買い叩かれるところです。

952/1000 ながつき児童公園(沖縄県宜野湾市)

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ながつき公園は、宜野湾市新城の住宅地の外れにある小公園です。

「ながつき」というので9月(長月)に開園したのかと思って調べてみましたが、宜野湾市の資料によれば開園は昭和59年(1984)7月2日、お手軽に新暦と旧暦を計算できるサイトで変換してみると、この日は旧暦でも6月4日にあたるようです。

951/1000 あらしろ児童公園(沖縄県宜野湾市)

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普天間基地のすぐ北側にあたる新城地区。地区名は「あらぐすく」ですが、そこにある公園名は「あらしろ」です(園名板の文字はかすれて読めなくなっていますが)。

950/1000 シーサー児童公園(沖縄県宜野湾市)

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ここ数回登場している宜野湾市真志喜地区の小公園は、「わかたけ」「いすのき」「あだん」など植物で命名されていましたが、今回は「シーサー」。
もうそれだけで、どんな公園なのかわかってしまいます。そう、私の大好きな、沖縄の巨大コンクリート遊具一本勝負型です。

シーサーの手下なのか、リスが園名板を持っていますが、奥にもう見えています。

949/1000 あだん児童公園(沖縄県宜野湾市)

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宜野湾市真志喜にある区画整理地の小公園を訪ねるシリーズ。今日は、あだん児童公園です。
園名板の後ろに植えられているのは、アダンではなくビロウでしょうか。

948/1000 ましき児童公園(沖縄県宜野湾市)

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宜野湾市真志喜にある区画整理地の小公園を訪ねるシリーズ。今日は、ましき児童公園です。
20年ほど前、プロ野球の近鉄に沖縄出身の「真喜志(まきし)」という選手がいたので間違えそうになるのですが、ここの地名は「真志喜(ましき)」。「ましき」という樹があるわけではありません。

出入口では色鮮やかなオウムがお出迎えしてくれます。

946/1000 わかたけ児童公園(沖縄県宜野湾市)

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宜野湾市の真志喜地区は、沖縄戦直後から米軍に接収され、ずっと陸軍の医療関係施設が置かれていましたが、段階的な返還を経て1976年(昭和51年)に全面返還されました。返還後は、全47haで真志喜地区土地区画整理事業が実施され、おもに住宅地として現在に至っています。
本ブログでは「区画整理といえば小公園群」なのですが、真志喜地区にはどんな小公園があるでしょうか。

と言うことで、まずは「わかたけ児童公園」です。

945/1000 森川公園(沖縄県宜野湾市)

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森川公園は、米軍普天間基地に続く小高い丘の斜面を利用して作られた公園です。宜野湾市の市立博物館のすぐ横にあって利便性が高く、また琉球王国の史書『球陽』にも登場する天女伝説の舞台となった「森の川」を含む公園として、宜野湾市を代表的する公園の一つです。

944/1000 仲の浦公園(沖縄県浦添市)

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浦添市の宮城仲西土地区画整理事業で生まれた宮仲、宮の浦、仲の浦の三兄弟公園。今日は仲の浦公園を訪れます。ちなみに三兄弟と書きましたが順不同です。

宮仲、宮の浦の2公園は段差のある敷地構造や遊具内容、園名板までよく似ていたのですが、仲の浦公園は少し違っています。
園名板も、ずいぶん違っています。三兄弟の中でも、一人だけ年が離れた末っ子みたいな感じでしょうか。
宮仲、宮の浦 両公園の園名板

943/1000 宮の浦公園(沖縄県浦添市)

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浦添市の宮城仲西土地区画整理事業で生まれた宮仲、宮の浦、仲の浦の三兄弟公園。今日は宮の浦公園を訪れます。ちなみに三兄弟と書きましたが順不同です。