1144/1000 久宝公園(大阪市中央区)

4:00 Add Comment
久宝(きゅうほう)公園は大阪市街地のど真ん中、南北・東西のメインストリートである御堂筋と中央大通りとが交差する船場中央3交差点から徒歩3分くらいのところにある小公園です。
大阪の西の方には久宝寺という土地がありますが、「道頓堀川を開削する際に久宝寺周辺から人夫が集まってきて住み着いたので、そこが久宝町という町になった」という説があります。一方で、「このあたりにも久宝寺という寺があった」という説もあり、No.1143で登場した「京都から来た人たちが掘ったから京町堀」と比べると、由来がはっきりしないところです。

1143/1000 京町堀公園(大阪市西区)

4:00 Add Comment
京町堀公園は、大阪市西区と中央区の区境あたりにある面積315平米のほぼ狭小公園です(本ブログでは300平米未満の公園にタグ「狭小公園」を付けています)。
区境は、昭和の中頃までは「西横堀川」という堀川だったのですが、そこから分流して西へ流れていたのが京町堀です。もうどちらの堀割も埋め立てられて跡形もありませんが、その分かれだった付近に、わずかばかりに名残をとどめるのがこの公園ということになります。

下の写真で、高架道路になっているところが西横堀川の跡、手前の小さな広がりが京町堀公園です。

1142/1000 稲川東公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
尼崎市の北部から東部にかけて猪名川(いながわ)という一級河川が流れていますが、それとは違って、こちらの公園名の由来は稲川(いながわ)という小河川です。
稲川は少し下流に行けば大物川と呼ばれ、猪名川下流に出来た砂州が徐々に陸化して現在の尼崎の陸地になっていく過程で、逆に取り残されてしまった末流の一つだと思われます。

これが昭和40年代の半ば頃に埋め立てられ、今では交差点名や公園名に名残を残すだけとなっていますが、戦後まもなくの空中写真を見るときれいに写っていました。下の写真で南北方向に流れているのが稲川です。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より
・整理番号・USA/コース番号・M84-1/写真番号・63/撮影年月日・1948/08/31(昭23)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do

1141/1000 長洲東通公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
長洲東通公園は、No.1137 さくら公園No.1138 常光寺南公園から200メートルほど離れたところにある小公園です。
付近の街路には面しておらず路地を入ったところにあるので、先の2公園と比べると目立たない印象です。

1140/1000 長洲公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
No.1139で登場した尼崎市杭瀬の西隣にあたる長洲(ながす)地域は、古代の尼崎ではもっとも早く形成されて陸地化が進んだ砂州だそうで、平安時代にはすでに東大寺の荘園(長洲荘)が設けられていたそうです。
その頃の長洲がどのあたりまでだったのかは正確に知りませんが、現在の市立長洲小学校の東隣にあるのが長洲公園です。

公園北側の出入口には、尼崎市ではお馴染みのいつもの童子像。

1139/1000 杭瀬公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
尼崎市の南東部、神崎川・左門殿川の東にあたる杭瀬(くいせ)は、戦国時代ごろまでは河口部に砂が溜まってできた島の一つだったそうです。それが徐々に陸地化し、現在は川の気配などあまり感じられない住・商入り混じった下町になっています。
そんな杭瀬の杭瀬小学校の東隣にあるのが、杭瀬公園です。

小学校の校門(写真右奥)からは10メートルほどしか離れていませんが、学校と公園との間には高いフェンスがあって学校公園の形にはなっていません。

1138/1000 常光寺南公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
常光寺南公園は、公園統廃合で生まれたNo.1137 さくら公園から直線で200メートルほど離れ、廃止された堤外公園からも100メートルも離れていない場所にある小公園です。この近さが、堤外公園の廃止理由の一つであったと考えられます。

下の地図は堤外公園が残っている状態のものですが、小学校の周りに似たような規模の公園が3つ続いていますので、真ん中の一つ(堤外公園)を無くするという判断に至ったのも仕方がないかと思わされます。
©Mapion,地図データ©ZENRIN

1137/1000 さくら公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
さて、私がこのブログを始める契機となったのは、2012年3月末に「日本の都市公園が10万ヵ所を越えた」ことでした。ちょうど切りが良い数字を目にして、「10万ヵ所のうちの1%、1,000ヵ所くらいなら行くでしょ」と記録を始めたのです。

たまたま手元にあった日本公園緑地協会発行の『公園緑地マニュアル 改訂平成7年度版』によれば、1950年に2,032ヵ所だったものが5万ヵ所を越えたのが27年後の1987年、それから25年かかってまた5万ヵ所ほど増えたことになります。
この間、都市公園数は一貫して増え続けており、「公園が減ること」はありませんでした。

しかし近年は、公園施設の老朽化対策が重要になっていること、数の増加に自治体の維持管理費が追いつかないことなどから「公園を統廃合して、数ではなく質を高めること」の必要性が叫ばれるようになっています。
ここ尼崎市のさくら公園は、そんな公園統廃合を実践して2013年(平成25年)にできた新しい公園です。

1136/1000 潮江5丁目公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
No.1135 潮江緑遊公園の出入口から横断歩道を渡っただけ、10メートル程度しか離れていないところに潮江5丁目公園があります。下の写真は潮江5丁目側から緑遊を見たところ。

1135/1000 潮江緑遊公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
JR尼崎駅の所在地は尼崎市「潮江」と言いまして、明らかに海辺に因む地名です。
今は海から3キロくらい内陸にあたりますが、奈良時代に付近が東大寺の荘園だった頃は海岸沿いの湿地を徐々に干拓しながら耕地が拡大されていったようです。apediaによれば「潮江」の史料初出は1250年のことだとか。
そして、1996年(平成8年)に尼崎駅の北側にあったキリンビールの工場が閉鎖され、その跡地を中心とした約23ヘクタールが「あまがさき緑遊新都心」という名称で再開発されました。
その一角に、2010年(平成22年)にできたのが潮江緑遊公園です。すなわち少なくとも800年近い歴史を持つ「潮江」と、平成に生まれた「緑遊」の合成名を冠した公園です。

1134/1000 元浜緑地(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
かつての高度経済成長期、各地で大気汚染が頻発していた頃は「緩衝緑地」として工場地帯と住宅地帯とを区切る緑地が作られたものですが、そうした時代がすぎて1980年代に入ると、工場だけが悪役でもなくなり、モータリゼーションを始めとする都市生活そのものが大気汚染の大きな要因となってきます。
そこで環境庁(当時)は、大気汚染による公害を防止するために必要な大気浄化機能をもった都市公園となる緑地を「大気汚染対策緑地」として建設し、自治体に譲渡するという事業を開始します。
これの全国第一号が、尼崎市の元浜緑地です。

1132/1000 本郷中央公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
阪神鳴尾駅の南に「本郷」という交差点があります。全国にある「本郷」地名ですが、大雑把に言えば村の中心部を呼ぶ地名です。ここも交差点近くに西宮市の鳴尾支所があり、戦後まもなくに旧・鳴尾村が西宮市と合併するまでは、この支所付近に鳴尾村役場がありました。
そんな鳴尾の中心地にあるのが本郷中央公園、すなわち村の中心の中央にある公園です。

1131/1000 久二塚公園(神戸市長田区)

4:00 Add Comment
JR新長田駅から少し歩いた国道2号線の南に、阪神・淡路大震災後に建てられた「アスタくにづか」という再開発ビル(1~5号館)が並びます。「くにづか」は漢字では「久二塚」と書くのですが、本来の地名ではなく、地区を構成する久保町・二葉町・腕塚町から一文字ずつ取った合成地名です。
そんな久二塚地区の震災復興の中で新しく作られたのが、久二塚公園です。

同じ地区内の空き地にパトレイバーのイングラムが来るというので見物に行ったついでに、公園も覗いてみました。

1130/1000 淡河城跡市民公園(神戸市北区)

4:00 Add Comment
神戸市の条例に基づく「市民公園」は、民間または公共の土地を期間を定めて市が無償提供を受け、簡単な施設整備を行なったうえで市民に開放しているものです。いわば期間限定の簡易的な公園ですが、とくに何事もなければ期間が更新されるようです。

そのうちの一つが、神戸市北区の農村地帯にある淡河城跡市民公園で、その名の通り中世の城跡を公園としたものです。

1129/100 松生公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
西宮市松生町(まつおいちょう)は、西宮市西部を南北に流れる夙川の西岸にある住宅地区で、もとは川沿いに多くの松が生える土地だったようです。
その一角にある松生公園は、松ではなくシンボルツリーとしてモクレンが植えられて「花の名所」になっている小公園です。