1260/1000 宇久増公園(沖縄県那覇市)

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宇久増(うくまし)公園は、沖縄都市モノレールの古島駅から徒歩3分くらいのところにある小公園です。現在の町名では古島1丁目に所在しますが、区画整理・町名変更が行なわれる前は「宇久増」という小字があったようで、公園から700メートルほど離れた古謝川を渡る橋には「宇久増橋」という名が残っています。

1259/1000 古島中公園(沖縄県那覇市)

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那覇市の北東部、モノレール古島駅からおもろまち駅にかけての東側一帯は、真嘉比 古島地区(第1、第2)として1975年頃~2010年代までかけて区画整理事業が実施された地区です。
そのうち、古島(ふるじま)側に整備されているのが古島中公園です。

1258/1000 真嘉比中央公園(沖縄県那覇市)

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那覇市の北東部、沖縄都市モノレールの古島駅からおもろまち駅にかけての東側一帯は、真嘉比 古島地区(第1、第2)として1975年頃~2010年代までかけて区画整理事業が実施された地区です。
その地区内でもっとも大きく、中心的な位置にあるのが真嘉比中央公園です。

1257/1000 那覇市山下町第一洞穴公園(沖縄県那覇市)

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以前にNo.932 山下東公園No.933 山下西公園を訪ねた那覇市の山下町は、丘陵地からかつての入江(国場川)の方へ降りていく崖地下にあり、いかにも先史時代の住居跡や貝塚などがありそうな地形です。
急にそんなことを言い出すのは、国内最古級とされる3万2千年前の人骨が見つかった遺跡があることを知っているからなのですが。

その遺跡が、2016年(平成28年)に公園として整備され、一般に公開されました。

1256/1000 具志うたき公園(沖縄県那覇市)

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具志うたき公園は、那覇市具志の小高い丘の頂上にある公園です。
ハッキリとしたことはわからないのですが、園名板の裏側に刻まれた碑文の内容や、那覇市の公園配置図(pdf)には記載がないことから考えて、地域の共有地である御嶽の周りを民有地のまま整備・公開している「民設公園」ではないかと思います。

1255/1000 松川公園(沖縄県那覇市)

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松川公園は、那覇市松川と三原の町界付近に細長く続く公園です。
「細長い」といっても並の細長さではなく、道路に挟まれた幅3~4メートル、長さが150メートルくらいの直線型をしています。

1254/1000 具志宮城東公園(沖縄県那覇市)

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那覇市の南部、具志宮城の区画整理地の中にある東西南北4つの小公園。今回は4つめの具志宮城東公園です。
しかしこの公園は、その4公園の文脈で語るよりも相応しい巨大コンクリート遊具一本勝負のタグを付けられます。それら一連の一本勝負型の中でも、かなり手の込んだ恐竜遊具が売り物です。

はい、ドン!

1253/1000 具志宮城南公園(沖縄県那覇市)

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那覇市の南部、具志宮城の区画整理地の中にある東西南北4つの小公園を訪ねるシリーズの3回目。今回は地区の南端で100メートルほど歩けば豊見城市に入るあたりにある具志宮城南公園です。

1252/1000 具志宮城北公園(沖縄県那覇市)

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す那覇市の南部、具志宮城の区画整理地の中にある東西南北4つの小公園のうち、今回は2つめの具志宮城北公園です。

ここも1つめのNo.1251 具志宮城西公園と同じように、緩やかな傾斜地を利用して、大きく上下二段に切り分けられた敷地形状をしています。

そしてこれも同じように、区画整理事業を記念する大きな記念碑がありました。
No.1251にも大きな記念碑があったので「区画整理地の中心にあたるのでは?」と書きましたが、No.1251は旧字の具志、こちらは宮城に属します。

宮城地区でも大切な位置にあったようで、往時を偲ばせる「前ヌ井戸」が保存されていました。「前ヌ井戸(メーヌカー)」は一般名詞で、集落の入口付近にある井戸を指します。
見た限りでは、現在は井戸(湧水)としての機能は失い、拝所になっているようです。赤ちゃん用の玩具が放ったらかしになっているところはご愛嬌。

■現地の碑文より
この井戸は前ヌ井戸(カー)と呼ばれ、西暦1650年頃御先祖が字民のために掘削してくださった非常に大切な飲料水の源泉でありました。
また正月の若水としても尊ばれ、古くに産湯の水としても使われました。東後方には、井戸を抱きかかえるように樹齢約350年、大人三人でようやく抱えられる大きな琉球松が生い茂っておりました。
その後方には、東の製糖工場があり、前方には溜め池(馬浴クムイ)があって松の木陰は農作業を終えた、老若男女の憩いの場として親しまれていました。
盆前になると松の木の根元(トブシ)は子供達により競って削り取られ、お盆の門前の迎え火として重宝されました。松の木は昭和20年の大戦で消失、井戸は戦後も水道が普及するまで飲料水として大切にされました。
1992年11月吉日、具志宮城区画整理事業の施行に伴い改修され、貴重な文化的遺産であり字民の心のよりどころとなった聖域であります。

那覇市字宮城自治会

碑文に出てくる松林は先の大戦で失われましたが、公園の植栽として広場周りにわずかに再現されています。

松の木が少なくなった分、こちらの東屋の日陰が老若男女の憩いの場として親しまれているようです。

それ以外にはトイレがあるくらいで、広場型、地区住民が集まれる場所としての機能を重視した形になっている具志宮城北公園でした。

(2015年11月訪問)

1251/1000 具志宮城西公園(沖縄県那覇市)

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那覇市の南部、小禄地区に「具志」と「宮城」という町名があります。もともとは字具志、字宮城だったわけですが、軍用地として字域の広い範囲が接収され、戦後何十年か経って一部が返還された後に具志と宮城とにまたがる範囲で一体的な区画整理事業が実施されました。
この区画整理地の中に東西南北4つの公園があります。今回は、そのうちのひとつ目、具志宮城西公園です。

ちなみに冒頭で私が知ったかぶって書いた内容は、この大きな記念碑にすべて書かれています。

1250/1000 宇栄原公園(沖縄県那覇市)

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宇栄原(うえばる)公園はNo.1249 高前原公園から200メートルほど離れ、そこから続く丘の頂上にある小公園です。沖縄特有の起伏の多い地形を開発する際に頂部だけを残して公園にしたのかと思いますが、一番のピークには拝所がありますので、それを残すために周囲を公園にしたという感もあります。

1249/1000 高前原公園(沖縄県那覇市)

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高前原(たかまえはら)公園は、那覇市高良の丘陵斜面を開いて作られた公園です。隣接地には市立の小禄南公民館・図書館もあり、混みあった市街地の中にあって、公共施設がまとまって整備された一角になっています。

1248/1000 ゆうがお公園(沖縄県那覇市)

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ゆうがお公園は、那覇市具志の住宅地にある小公園です。200メートルほど東にはNo.1247 あさがお公園があって、東にあさがお、西にゆうがおという配置になっています。
四周を道路に囲まれた小さな公園で、中央に広場を大きく取って、外周部の一角に遊具を集める格好になっています。

1247/1000 あさがお公園(沖縄県那覇市)

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あさがお公園は、那覇市具志の住宅地にある小公園です。200メートルほど離れたところに「ゆうがお公園」もあって、東にあさがお、西にゆうがおという配置になっているので東=朝、西=夕という発想なのだろうと思います。

1246/1000 高良公園(沖縄県那覇市)

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沖縄都市モノレール(ゆいレール)の赤嶺駅から少し南に行ったあたりが高良(たから)地区で、豊見城市との市境あたりまで高良1~3丁目が広がっています。そんな高良1丁目の丘の上、高良全体を見下ろせるような場所にあるのが高良公園です。

その中でも、丘の頂上は「高良之殿」という拝所になっています。
非常に眺めの良い場所で、家が少なかった頃は周囲からも目立っていたと思われます。

1245/1000 真嘉比南公園(沖縄県那覇市)

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那覇新都心の東隣にあたる真嘉比(まかび)・古島(ふるじま)地区は、昭和の終わりから20年以上かけて区画整理が行われてできた住宅地区です。

1945年(昭和20年)の沖縄戦の後、新都心にあたる区域が米軍に接収されたことにより、その隣接地だった真嘉比・古島地区では農地や荒地が無秩序なままに宅地として開発され、道路や下水道などの整備も不十分な状態が続いていました。そこで区画整理事業が実施され、5年ほど前に事業が終了。今はそれらの土地に次々と新しい住宅が建ち始めているところです。
その一角、真嘉比小学校、幼稚園に隣接するところに真嘉比南公園があります。

1244/1000 高良ゆうやけ公園(沖縄県那覇市)

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No.1243 高良あおぞら公園から200メートルほど離れたところに、高良ゆうやけ公園があります。「青空」に対して「夕焼け」、対と言えば言えなくもないといった微妙な関係です。

1243/1000 高良あおぞら公園(沖縄県那覇市)

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ゆいレール(モノレール)の赤嶺駅から南へ5分ほど歩き、小禄バイパスと旧国道(331号線)との間に挟まれたところに高良あおぞら公園があります。
下写真の公園門を入った先にあるのは、この公園のシンボルとも言える、トイレ兼倉庫の建物屋上を使った巨大滑り台です。

1242/1000 大森山谷公園(東京都大田区)

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大森山谷公園は、京浜急行大森町駅から東南に200メートルほど離れのところにある小公園です。
近くを第一京浜、産業道路という2本の幹線道路が通っており、その沿道は商業施設が多いのですが、少し中に入ると昔からの小さな工場と低層住宅が建て込んだ地区です。
そんな地区の中の、さらに路地の奥の敷地に大森山谷公園があります。

大田区の都市計画図を見ると、路地そのものは公園区域には含まれていないようなのですが、公園の中心になる部分から路地にそって北へ細長く公園区域が伸びています。
大田区HP 都市計画施設図(H27年3月作成)より

1241/1000 大森諏訪公園(東京都大田区)

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大森諏訪公園は、No.1240の大森西公園と6メートル幅くらいの道路を挟んで斜向かいにある小公園です。
逆光気味ですが、下の写真が諏訪公園側から西公園を眺めたところ。

1240/1000 大森西交通公園(東京都大田区)

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大森西交通公園は、その名のとおり本ブログでは久々に登場の交通公園です。
京急・大森町駅から5分ほど歩いた住宅地の中にあり、3,300平米ある敷地の大半が交通規則を学ぶためのコースになっており、横断歩道・信号や踏切なども作られています。

1239/1000 東蒲田一丁目児童公園(東京都大田区)

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東蒲田1丁目児童公園は、No.1239 東蒲田公園から50メートルと離れていないところにある面積221平米の狭小公園です。
ちょうど家一軒分くらいの間口が南に向けて開き、その倍くらいの奥行で、出入口以外の三方は戸建住宅に囲まれています。

1238/1000 東蒲田公園(東京都大田区)

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旧・大田区体育館は先の東京オリンピックを記念して建てられたものですが、昭和のプロレスファンには新日本プロレスの旗揚げ興行(メインイベントはアントニオ猪木vsカール・ゴッチの時間無制限一本勝負)が行われた会場として知られていました。
その体育館が建て替えられて現在のものになる時に、周囲の公園部分も再整備されたようで、近代的な体育館の東側に沿ってきれいな児童公園が開かれています。

1237/1000 聖蹟蒲田梅屋敷公園(東京都大田区)

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聖蹟は、本来は「天子が行幸した地や帝都の旧跡(デジタル大辞泉より)」という意味なのですが、現代日本に残るものは、大抵が明治天皇の行幸先です。
明治天皇の死後に国策として天皇の権威強化が進められる中で、明治天皇が巡幸の際に立ち寄った所、泊まった屋敷などが「聖蹟」となり、やがて国史跡にも指定され、戦後には一斉に解除されたことは、No.850 聖徳公園の記事で触れました。
ここも、そんな聖蹟の名を残す公園です。

1236/1000 大森北青空児童公園(東京都大田区)

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大森北青空児童公園は、大田区大森の大森第二中学校の東隣、駅にも近く建て込んだ住宅地の中の角地を使った公園です。資料によれば面積は306平米で、ぎりぎり本ブログにおける狭小公園(300平米以下)には入らない規模です。

1235/1000 ひめゆり児童遊園(東京都大田区)

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ひめゆり児童公園は、大田区大森中にある八幡神社の境内を使った小公園です。
構造的にはNo.1234 大森北六丁目南児童公園と似通っていますが、No.1234は面積的には神社よりも公園として使える部分の方が広かったのに対して、こちらは参道脇を少し分けてもらっている感じで、けっこう雰囲気は異なります。

1234/1000 大森北六丁目南児童公園(東京都大田区)

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大森北六丁目南児童公園は、京急平和島駅の西側の小さな商店街の中、甘酒稲荷神社というお社と一体になった公園です。名称は場所を正確に表しているようでいて、実はどこかわかりにくいので、どうせなら「甘酒稲荷児童公園」くらいの方が良かったようにも思います。
ちなみに境内の由緒書きには「願掛けがかなった人が甘酒をお供えした」のが由来と書かれていましたが、「なぜ甘酒だったのか」というところにも切り込んで欲しい気がします。
こちらが商店街から見た甘酒稲荷と児童公園。

1233/1000 平成児童公園(東京都大田区)

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平成児童公園は、その名のとおり平成元年(1989)に開園した170平米の狭小公園です。
もっとも、とくに「平成記念」というわけでもなく、たまたまその時に開園するので、とりあえず早い者勝ちで名前を使ってみました、くらいの規模と力の入りようかと思われます。

1231/1000 柳川城址の周りのポケットパーク(福岡県柳川市)

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柳川城は江戸時代には柳川藩10万石の政庁だったのですが、掘割に囲まれた平城ということもあって明治以降は城の中心部まで都市化してしまい、どこが城だったのかわかりにくくなっています。もっとも掘割は概ねそのままの形で残っていますし、本城町、城隅町といった町名もあって、だいたいの範囲は見て取れます。
そんな柳川城址を囲む掘割に沿って、遊歩道やポケットパークがたくさん整備されているので、その幾つかを記録しておきます。