1257/1000 山下町第一洞穴公園(沖縄県那覇市)

2016/08/27

沖縄県 史跡 那覇市 歴史公園

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以前にNo.932 山下東公園No.933 山下西公園を訪ねた那覇市の山下町は、丘陵地からかつての入江(国場川)の方へ降りていく崖地下にあり、いかにも先史時代の住居跡や貝塚などがありそうな地形です。
急にそんなことを言い出すのは、国内最古級の3万2千年前の人骨が見つかった遺跡があることを知っているからなのですが。

その遺跡が、2016年(平成28年)に公園として整備され、一般に公開されました。

琉球石灰岩の小さな丘に開いた洞窟の中からは、化石化した子供の骨、鹿の骨や角を削ってつくった骨・角製品などが見つかっています。
公園になる前から拝所になっていたようで、まだ拝みのための物品が置かれていました。

人が一人、二人程度入ればいっぱいになる程度で、暮らすというよりは雨宿りに使えるかな、というサイズの洞窟ですので、どうしてそんなところから人骨が出土したのか想像が膨らみます。

●現地の解説板より「那覇市山下町第一洞穴」
沖縄県指定史跡(指定年月日:昭和44年8月26日)那覇市山下町167番
洞穴は標高約15mの琉球石灰岩小丘にあり、間口約1.5m、奥行き約5.0m、高さ約3.0mで南に開口している。発掘調査は二度行われた。1962年の調査では鹿の骨・角製品や石器(石弾)等が発掘され、1968年の調査では6枚の堆積層が確認されている。下層の6枚目の堆積層からは、鹿の骨や角を削ってつくった骨・角製品や、化石化した8歳ほどの子供の大腿骨と脛骨が出土している。また3枚目の層から採集した木炭の年代測定により、およそ32,000年前の遺跡であることが明らかにされた。沖縄最古の遺跡である。

説明をよく読むと、人骨そのものの測定ではなく「人骨よりも少し上の層から見つかった木炭の年代測定で32,000年前のものだと考えられる」ということらしいです。骨も放射性炭素測定で年代が測れるのですが、発掘された時期の技術ではうまく数値が出なかったのでしょうか。

その人骨のレプリカも現場に展示されていました。

●那覇市山下町第一洞穴から見つかった人骨(レプリカ)
那覇市山下町第一洞穴から見つかった、8歳ほどと推定されている女の子の骨です。およそ32,000年前のものと考えられており、日本国内で見つかっている化石人骨としては最古のものです。

それにしても、貴重な人骨が見つかってから公園になるまで50年近くの年月が経っています。じつはここ、1969年(昭和44年)に当時の琉球政府により史跡指定を受けた後も、土地所有者と行政との土地売買の折り合いがつかず、ずーっと揉めていた遺跡だったのです。
所有者の気持ちの細かいところは知りませんが、「高く買ってくれないのなら、いっそ壊してしまえ」と考えたのか、なにかと理由を付けては岩山を少しずつ削り崩したり、石塊を持ち込んだりしており、たびたび報道で取り上げられていました。

私は2007年(平成19年)ごろにその話題を聞きつけて、何度か見に行った覚えがあります。初めて訪れた時の写真は出てこなかったのですが、整備前後に撮影したものが何枚か出てきました。

写真を並べてみると、壊れかかっていたものを保存するために手をつくした結果、だんだんと遺跡らしさが失われたようにも思えます。

2013年2月に撮影

2015年1月に撮影

2016年1月に撮影

貴重な文化財なので見学者も訪れるため、立派なトイレや駐車場も整備されました。これももう少し落ち着きのあるデザインにできなかったものかと思います。
2013年2月に撮影

2016年1月に撮影

現在は、洞穴の裏側にあたる平場も含めて公園となり、そちら側に上述した解説板などが設置されています。

平場部分には普通に遊具や健康器具も置かれており、公園としてのコンセプトはブレ気味です。

公園化にあたって、発見された骨のイメージからでしょう、ピンクの髪の女の子と、シカらしき生き物のマスコットキャラクターが登場しました。さすがに見つかった骨の持ち主ではなく、未来から来たキャラクターだということです。

そして公園の周りの山下町のエピソードをもう一つ。
かつて戦後の米軍統治時代、山下町の一角は「ペリー区」と名乗っていました。ペリーは当節の歌姫ケイティ・ペリーではなく、幕末の赤鬼マシュー・ペリーのことです。
もともと山の下にあるから山下町だったのですが、米軍に統治される際にペリー区に変更になったのです。これには、
●地域の方々が「マッカーサーと戦ったマレーの虎・山下奉文大将と同じ名前では米軍に申し訳ない。ペリーに変えます」とした説
●米軍が「ヤマシタは気に食わない」と言ってペリーに変えさせた説
●米軍が気に食わないと言うので、「じゃぁペリーなら文句はなかろう」とした説
の3つがネット上に流布しています。

ただ、ペリー区から山下町に戻って50年以上も経つのに、地元では今もペリーの名が親しまれているところから考えると、3番目が正解なんじゃないかなぁと思います。

今でもお買い物はペリー、

お餅はペリー、

お洒落をするならペリー、

子供が生まれたらペリー、

病気になったらペリー、

落書きもペリー。

ここまでになっているのなら、洞窟も「ペリー洞窟」で良かったんじゃないかと思います。

(2016年1月訪問)

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