1560/1000 北畠公園(大阪市阿倍野区)

4:00 Add Comment
阿倍野区北畠は南北朝時代の武将・北畠顕家の墓と伝えられる塚にちなむ町名で、その塚の周りを公園にしたのが北畠公園です
公園としての開園は昭和14年(1939)ないしは翌15年のことのようで、園名標柱には「昭和14年11月竣工」とあります。また、園内の石碑は昭和15年5月の碑文があり、有志が浄財を集めて塚の周りの土地を買収し、大阪市に寄付して公園としたことが記されています。

●碑文をだいたいのところで書き起こし
昭和3年7月同志相謀り、北畠卿顕章会を興し、墓域拡張修築の為、篤志家の寄附を勧奨し某額5400円を得たり。依って年次祭典を行い墓域隣接の民屋並びに宅地を買収し、以て浄化拡築を図らせんとせしに、時あたかも大阪市に於いて史跡公園として経営せらるるに会いせり。
是に於いて其買収に係る宅地32坪8合と残余金1200円を以て事務所6坪を建設し、之を大阪市に寄附せり。而して会計事務は副会長田中直蔵之を掌理し、ここに全く結了す。依って石に刻して大方各位の高志に酬ゆと云爾。

昭和15年5月22日

北畠卿顕章会長正六位勲三等 武岡元忠誌  宮川黄石書

阿倍野区HPにある『阿倍野の地名・町名の由来』によれば、北畠町という町名は「町名は、王子町の町域内の北畠公園に所在する大名塚を、江戸時代の国学者並川誠所が北畠顕家の墳墓と比定したことにより、当地周辺を顕家戦没ゆかりの地として顕彰し、この地に北畠の名を冠したことに由来する。」とあります。
ここに登場する並河誠所(1668~1738)は、HPでは国学者と書かれていますが、実際は伊藤仁斎の教えを受けた儒学者で、いくつかの藩で藩儒を務めています。現地調査を元に『五畿内志』という近畿圏の地誌を編纂し、陵墓や社寺、古跡などについて多くの史料・伝承を取りまとめていますので、この地も実際に訪れたのかも知れません。

さて現在の公園ですが、元々が戦前に人気があった南朝方の忠臣・北畠顕家を顕彰するための場として開かれていますので、仕立てとしては神社のような構造になっています。
現在までに改修されているとは思うのですが、この園路など参道そのものです。

外周柵も、玉垣のようです。

墓所も垣で囲まれているわけですが、それ以外のところには、滑り台や砂場などの遊具、背伸ばしベンチなどの健康器具も置かれていて、歴史公園としての面と、市街地の小公園としての面の両面を持つ公園となっています。

そして、公園の一角には、上述した碑文に出てきた「事務所6坪」の系譜を引くと思われる顕家会館という建物があります。

現在は集会所兼保管庫のような使われ方をしており、格子窓の向こうに顕家公ご尊像を拝することができます。
●現地の解説板より「北畠顕家公 由緒記」
後醍醐天皇の王政復古の御理想により、源頼朝以来の鎌倉幕府を支配していた執権北條氏を新田義貞他の協力により討ち滅ぼして、建武の中興が成り(1333年)、当時参議近衛中将であった、北畠顕家公は武芸とは無縁の公家の身でありながら後醍醐天皇の命により16歳の若さで陸奥守に任ぜられ、皇子義良親王を奉じ御父親房公と共に奥州へ向かわれ、専ら其の地の鎮護に当たられた。
然るに其の2年後(建武二年)鎌倉にいた足利尊氏が天皇に叛して京へ攻め上ったので、顕家公は天皇の命を受けて奧州、関東の大軍を率い、長駆(※原文では長躯)尊氏の後を追い之を打ち破り、足利勢を九州へ敗走させる武勲を樹てられた。
京都を確保した後、顕家公は再び親王を奉じて奥州に戻られたが、先に敗走した足利尊氏は九州で勢力を盛り返し、又々京都へ攻め上ってきた。
これを迎え撃った楠木正成は湊川で戦死し(1336年)、尊氏は京都に進攻したので後醍醐天皇は神器を奉じて吉野へ逃れられた。所謂何北朝の始まりである。
吉野に遷都された天皇は再度顕家公の西上を促されたので、公は任地である奥州の霊山を出発し鎌倉へ入り、更に伊勢、奈良へと進撃して来られた。
足利方の大将高師直の軍勢と摂津国(大阪府)で対戦、天王寺阿倍野に転戦したが戦利あらず次第に押されて、出発時6万を数えた軍勢も最後には公の身辺を護る者僅かに20数騎となり志半ばにしてついに戦場の華と散られた。時に御年21歳。花将軍と謳われた悲運の貴公子であった。
公は若年ながら高邁な識見と鋭い政治批判力を持ち、その真価は戦死の直前後醍醐天皇への「上奏文」に見事に発揮され、その堂々とした文章と達見は後世に高く評価されている。
当墓は「太平記」等の伝承により江戸期の学者並川誠所の提唱で享保年間(1720年頃)建てられたものである。

北畠顕家公 顕彰会

ところで、開園から十数年後の昭和28年の地図を見ていると、この公園として示されて区域が、今よりもずいぶんと広いことに気が付きました。地図の方位・縮尺が異なるので少し見比べづらいですが、現在よりもざっと3倍くらいの広さがあるように見受けられます。
国際日本文化研究センター所蔵地図データベースより
阿倍野區詳細圖 : 最新地番入(1953年発行)
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/
マピオン電子地図より現在(2017年)
https://www.mapion.co.jp/
この件については調べがつかなかったのですが、また資料が揃えば追記してみたい北畠公園でした。

(2017年6月訪問)

1559/1000 北郷公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
大正時代に武庫川の改修に伴って廃川となった支川の枝川跡地に住宅地が開発され、これが甲子園と名付けられました。今は甲子園○○町という住所表記の範囲は広がっていますが、甲子園一番町~九番町までが当初の開発範囲だそうです。
北郷(ほくごう)公園は、そのうちの甲子園三番町にある小公園です。

公園の開設は1941年(昭和16年)とのことで、西宮市でも古株の公園にあたります。
公園施設は順次入れ替えられていますが、東門・西門の門柱は、70数年前のものが残っているのではないかと思います。

1558/1000 豊年公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
豊年公園は、JR甲子園口駅から南西へ700メートルほど離れた場所にある小公園です。おそらくNo.1556 弁天公園No.1557 御代開公園と同じ戦前の区画整理事業の中で誕生した公園と思われ、開設は1944年(昭和19年)です。

ただ、No.1556、1557が外周を道路に囲まれ、駅近にしては広めの3,000~4,000平米の敷地を持ち、広場、植栽地、遊具広場などがしっかり分かれていたのに対して、ここは666平米と小さく、ほぼ遊具広場のみの構成となっています。

1557/1000 御代開公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
御代開(みよびらき)公園は、No.1556 弁天公園と同時、1939年(昭和14年)に旧法下での土地区画整理事業によって用地確保された児童公園のうちの一つで(西宮市,『西宮の公園・緑地(H28年版)』,p.75)、西宮市ではもっとも古い部類の公園です。
「御代」はこの付近の江戸時代の村落名のようなのですが、いつ頃まで残っていた地名なのかはよくわかりません。御代村の中でも新しく開かれたエリアが「御代開」だったのでしょうか。

1556/1000 弁天公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
弁天公園は、JR甲子園口駅の南、350メートルほどのところにある小公園です。「弁天」は付近の旧字なので、かつては近くに弁天様を祀ったお堂があったのだろうと思いますが、今は見当たりません。

1555/1000 佐良浜港の公園(沖縄県宮古島市)

4:00 Add Comment
佐良浜港は、沖縄県伊良部島の東岸にある小さな港です。
フェリー港と漁港が一緒になったような形をしていますが、伊良部島と宮古島との間には、2015年(平成27年)に全長3,540メートルの伊良部大橋が架かったため、定期航路は廃止されてフェリー港部分は休業中です。
この港の周りに、小さな公園が整備されています。

1554/1000 新靭公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
新靭公園は、西宮市の国道2号線沿いにある小公園です。
小さな公園ですが、園内にはクスノキ、エノキなどが大きく育っており、緑の少ない国道沿いでは非常によく目立つ場所になっています。

1553/1000 東甲子園公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
「甲子園」は、全国一般的には甲子園球場を指すことが多いかと思いますが、実際は西宮市東部の住宅地の名称で、その地区内にある球場が甲子園球場です。
東甲子園公園は、その地区の甲子園一番町にある小公園です。

1552/1000 小曽根公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
「曽根(そね)」という地名は各地に見られますが、著名な地理学者・地名研究家である松尾俊郎(1897-1979)によれば、これは「低く長く延びた高まり」のことで、河川の自然堤防を指していることが多いそうです。(松尾,1973,『自然堤防にちなむ地名-特に”曽根”の地名を中心に-』
西宮市の小曽根町(こそねちょう)も、武庫川の本流と、その支川で大正時代に廃川となった元・枝川との間の三角州にあたる場所にあります。

1551/1000 小松公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
小松公園は、武庫川西岸の住宅地の中にある小公園です。
この付近は武庫川の最下流にあたり、大正時代に大掛かりな河川改修が行われるまではよく川が暴れていた場所なせいか、そうした荒れ地にもよく育つ「松」の付く地名が多いように思います。

1550/1000 三和公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
三和公園は、阪神武庫川駅から北西へ100メートルほど離れた住宅地の中にある小公園です。
面積の割には樹木植栽地が広く、木陰や花を楽しめる公園となっています。

1549/1000 与古道公園(兵庫県西宮市)

4:00 Add Comment
阪神西宮駅の一番東端の出口から出たあたりが与古道町(よこみちちょう)で、そこから200メートルほど離れた東川沿いに、与古道公園があります。

そもそも与古道は「横道」で、東西方向に通る旧・西国街道を「縦」と見た横方向、すなわち南北の道であるそうです。
今の地図は「南北方向が縦、東西方向が横」のものが一般的なので、東西が「縦」と言われると一瞬の違和感を感じるのですが、西本州を東西に走る高速道路は「中国縦貫道」なので、人間サイズの地理・地形に合わせるとこうなるのかなぁ、とも思います。

1548/1000 梅の木公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
梅の木公園は、No.1457 北難波公園で触れた尼崎市難波(なにわ)の住宅地の中にある小公園です。その名の通り、敷地の1/3ほどを梅林が占めており、特徴的な「花の公園」となっています。

1547/1000 北難波公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
一般的に「難波(なにわ)」といえば大阪のことで、「難波(なんば)」はその中でもミナミと呼ばれる地域の中心ですが、尼崎にも「難波(なにわ)」という地名があります。
もともとは庄下川と蓬川に挟まれた一帯の呼び名で、現在の町名では東難波町、西難波町に分かれますが、最近の町名変更で分けられたというわけでもなく、難波が東西に分かれたのは戦国時代に遡るそうで、思いがけず伝統的な町名なのでした(尼崎市立地域研究資料館のサイトapediaによる)。

なのに、今回の公園は東難波町にある北難波公園。間に道路を挟んで、東側にどちらかと言えば滑り台やブランコなどのある小ブロック、西側に少年野球の練習くらいができるグラウンドを備えた大ブロックとに分かれます。

1546/1000 芦原公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
尼崎市では昭和40年代から市内各地の公園に市民プールを整備してきましたが、施設の老朽化などを理由に、平成20年に5ヵ所が廃止されました。
残った2ヵ所のプールのうちの1つが、芦原公園にあります。

こちらがプールの出入り口。

1545/1000 橘公園(兵庫県尼崎市)

4:00 Add Comment
尼崎市の西部、JR立花駅の周辺は、1942年(昭和17年)に尼崎市に編入されるまでは川辺郡立花村でした。
この地は、平安時代に摂関家へ柑橘類を献納した橘御園(たちばなのみその)との関わりが深いとされていますが、橘御園自体はこの付近を南とし、北の伊丹市、川西市から東は池田市、西は宝塚市の山本付近までの広い範囲に、他の荘園と入り組みながら散在する荘園だったそうです(田中文英『Web版図説尼崎の歴史 「猪名の笹原」と橘御園』)。

そんな立花駅からさらに南に少し南東に離れたところに尼崎市役所があり、その隣に橘公園があります。

1544/1000 天神公園(鳥取県鳥取市)

4:00 Add Comment
天神公園は、鳥取市街地の南を流れる新袋川という川の堤防沿いにあり、残る3方向には名前の由来にもなった北野神社、国道、県立体育館があって、市街地の割には近づきにくい場所にある小公園です。
下の写真は新袋川。旧市街地を流れる旧袋川の洪水を防ぐために、昭和初期に開削されたものです。

1542/1000 上井東公園(鳥取県倉吉市)

4:00 Add Comment
JR山陰本線の倉吉駅は、No.1538 打吹公園などがある旧市街地からは直線距離で3キロほど離れたところにあります。
ここから旧市街地に向けて旧・倉吉線が通っていた頃は、No.1540 明治町公園で登場した打吹駅が倉吉駅を名乗っていたため、現・倉吉駅は所在町名から上井(あげい)駅を名乗っていました。

上井東公園は、そんな現・倉吉駅から歩いて3分ほどのところにある小公園です。

1541/1000 緑の彫刻プロムナード公園(鳥取県倉吉市)

4:00 Add Comment
No.1540 明治町公園でちらっと登場した旧・国鉄の倉吉線が1985年(昭和60年)3月末に廃止され、その跡地を公園、緑道としたのが緑の彫刻プロムナード公園です。
その名の通り、線路部分が緑道(プロムナード)、打吹駅部分が広場・園地(公園)になっており、そこここに彫刻が展示されています。

とは言え、今回訪れたのは、その中でもごく一部。倉吉線鉄道記念館のある一角だけです。

1540/1000 明治町公園(鳥取県倉吉市)

4:00 Add Comment
倉吉市の旧市街、城下町の北端にある明治町。おそらく、この付近に鉄道駅が開業した1912年(明治45年)頃に付けられた町名ではないかと推察するのですが、Wikipediaによれば、駅が開業したのが6月1日、明治が終わったのが7月30日ですので、ちょっと駆け込みがすぎるかも知れません。

そんな明治町にある明治町公園を訪れたのは、2017年(平成29年)1月末に鳥取県の広い範囲が豪雪に襲われてから1週間ほど後のこと。まだ公園にはかなりの量の雪が残っていました。

1539/1000 研屋町公園(鳥取県倉吉市)

4:00 Add Comment
倉吉の城下町で、研ぎ師が多く集められていたらしき研屋町。
いかにも城下町らしい名前であり、また国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の区域に含まれます。

研屋町公園は、その重伝建のちょうど真ん中くらいにある小公園です。

1538/1000 打吹公園(鳥取県倉吉市)

4:00 Add Comment
倉吉市のシンボルと言える打吹山の打吹(うつぶき)公園は、1904年(明治37年)に当時皇太子だった大正天皇の行幸を記念して開かれた公園です。
打吹山は室町時代には伯耆国の中心として打吹城が置かれたところですが、江戸時代初めに廃城となって300年後に公園となったものですので、公園にも城跡の色はそれほど強くありません。

公園の麓にある小学校の壁画と、後ろにそびえる打吹山の景色は、倉吉の定番スポットになっています。

1537/1000 湖山池オアシスパーク:湖山池公園(鳥取県鳥取市)

4:00 Add Comment
湖山池公園は、鳥取市にある湖山池という巨大な潟湖の周囲に設けられた公園です。
都市計画上は湖山池の水面まですべてが公園区域になっており、計画決定面積684.7haは、市町村の公園としては上位18番目あたりに当てはまります。

1536/1000 石見第2児童公園(奈良県三宅町)

4:00 Add Comment
石見第2児童公園は、No.1535 石見児童公園から東へ400メートルほど離れ、三宅町と隣の田原本町との町界となる寺川に近いところに設置された狭小公園です。面積は、ざっくり100平米くらいしかなさそうです。

寺川に架かる橋に向かって道路が坂道になっている場所の崖下で、位置的には橋詰広場ですが、園内から橋はまったく見えません。

1535/1000 石見児童公園(奈良県三宅町)

4:00 Add Comment
石見(いわみ)児童公園は、近鉄橿原線の石見駅から200メートルほど離れたところにある小公園です。
駅前の石見地区は環濠集落の形を残す古い集落のようで、集落内はけっこう建て込んでいるのですが、公園は集落の外れにあって広々としています。

1534/1000 狐川沿い西品治の三角公園(鳥取県鳥取市)

4:00 Add Comment
この公園はNo.1531 南町公園と同じ狐川沿いに、300メートルほど下流に離れたところにあります。現地には園名板がなくて公園名がわからなかったので、とりあえず所在の町名から西品治(にしほんじ)の三角公園と呼びます。
下写真で右側の細道の横に狐川が流れています。

1533/1000 湖山南公園(鳥取県鳥取市)

4:00 Add Comment
さて本日の湖山南公園ですが、じつはブログ作者が通った大学と目と鼻の先にある小公園です。しかし学生時代にはその存在をまったく知りませんでした。
「もしかして卒業してから開園したのでは?」と思って手元の資料をめくってみると、開園は1990年(平成2年)。まさに在学中です。

1532/1000 寿公園(鳥取県鳥取市)

4:00 Add Comment
寿公園は、鳥取市寿町の住宅地の中にある小公園です。そして、本ブログではたびたび登場している「鳥取市街地の奥まった公園」に分類される、間口が狭く奥行きの深い小公園です。
下写真の左側、以前は住戸だったと思われる場所が駐車場になっているために少し広く見えますが、真ん中の緑色のフェンスに挟まれた部分が公園のエントランスです。

1531/1000 南町公園(鳥取県鳥取市)

4:00 Add Comment
鳥取市の南町は、旧袋川と狐川という2本の小河川に挟まれた細長い町で、古くからの住宅や寺院が多い地区です。
そんな南町にある南町公園は、狐川に張り付いた小さな公園です。

1530/1000 行徳緑地(鳥取県鳥取市)

4:00 Add Comment
No.1529 行徳公園から100メートルほど離れたところに、行徳緑地があります。
資料によっては「第5号行徳緑地」と書かれているものもあって、番号が付いているのは鳥取市の都市計画に定められた都市計画緑地だからではないかと思います。

名前は緑地ですが、施設は広場、遊具、東屋、駐車場などが揃っており、あまり緑地っぽくはありません。

1529/1000 行徳公園(鳥取県鳥取市)

4:00 Add Comment
鳥取市の行徳はJR鳥取駅の西北にある町で、駅からの距離は500~1kmほどですが、低層建物が多い古い住宅地になっています。
鳥取市の中心市街地は1943年(昭和18年)の鳥取地震、1952年(昭和27年)の鳥取大火で大きな被害を受け、その後に整った町割りに改良されているのですが、行徳付近はその範囲に入っていないのか、昔ながらのグネグネした道が多い町割りになっています。

そんな地区にあり、さらに奥まったところに公園をつくるのが得意な鳥取市の公園配置政策もあって、通りを行き交っているうちはまず見つけられない場所にあるのが行徳公園です。

1528/1000 幸町棒鼻公園(鳥取県鳥取市)

4:00 Add Comment
名前が気になる幸町棒鼻公園。まぁ「幸町」が現在の町名、「棒鼻」が町名変更以前の字名・地名であることは想像がつきます。

1527/1000 三保命山(静岡市清水区)

4:00 Add Comment
このところ静岡市の公園内にある津波避難タワーを何件か紹介しましたが、それとは別に、津波避難目的の盛土山単独施設として築かれたのが、この三保命山です。
No.811 湊命山が走りだと思うのですが、土地と土砂があれば、タワーよりも安く整備・管理ができるので、最近は事例が増えてきています。

1526/1000 大浜公園と西島緑地(静岡市駿河区)

4:00 Add Comment
静岡市の大浜公園は、安倍川の河口にほど近い海岸沿いにあり、松林の中に大きなプールがあることで有名な公園です。
このスライダーなんか、園路の方まではみ出してくる巨大サイズです。

1525/1000 折戸潮彩公園(静岡市清水区)

4:00 Add Comment
折戸潮彩公園は、静岡市の清水港に面したところにある港湾緑地です。
地元の方々や学生たちを交えたワークショップで計画が検討され、2016年に開園したばかりの新しい公園です。

1524/1000 折戸中央公園(静岡市清水区)

4:00 Add Comment
折戸中央公園は、No.1520 三保ふれあい広場の会に登場した旧国鉄・清水港線の折戸駅があった付近に設けられている公園です。
あたりは公園と廃線敷を活かした緑道、公営住宅の緑地などが混然としており、正確にどこまでが折戸中央公園なのかはよくわかりません。

1523/1000 三保白浜公園(静岡市清水区)

4:00 Add Comment
三保白浜公園は、No.1522 三保砂原公園と同じ住宅地の中にある小公園です。
いかにも区画整理のへた地といった感がある三角地で、あまり使い勝手の良い敷地形状ではありません。

1522/1000 三保砂原公園(静岡市清水区)

4:00 Add Comment
三保砂原公園は、富士山を眺める景勝地として有名な「三保の松原」がある清水区三保の住宅地にある小公園です。
松原と砂原では字面から受ける印象が違いますが、松が生えるのは海岸の砂地なので、だいたい同じことを言っていると受け取ります。

1521/1000 清水富士見台公園(静岡市清水区)

4:00 Add Comment
富士山を眺めることができる(できた)場所が富士見と名乗る地名は各地にありますが、三保の松原のある三保半島の付け根にも「富士見台」という名の付いた狭小公園がありました。

ただしこの公園、富士見台と名乗る割には海岸まで200メートルほどしかない海抜2.2メートルのところにあって、あまり「台」な印象はありません。
そして、下の写真の真ん中の方向に富士山があるはずなのですが、園内からでは見ることができませんでした。

1520/1000 三保ふれあい広場(静岡市清水区)

4:00 Add Comment
三保ふれあい広場は、富士山を眺める景勝地として有名な三保の松原がある三保半島にある公園です。
公園の周りには工場が多いのですが、これら工場に向けた貨物輸送を担っていた旧国鉄・清水港線が1984年(昭和59年)に廃止された後に、終着の三保駅跡地を公園としたものです。