1620/1000 網代公園(東京都港区)

2017/10/30

港区 身近な公園 盛土山 東京都

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網代(あみしろ)公園は、いわゆる麻布十番、かつての麻布網代町にある小公園です。

「網代」は「あじろ」と読むことが多いと思うですが、ここは「あみしろ」です。
港区のHPによれば「芝新網町が幕府に土地を召し上げられて町ごと移転した後もなんかやんやとあって、享保8年に与えられた場所は麻布新網町代地の『網』と『代』を組み合わせて麻布網代町と町名を改めました」ということなので、もともとの出自である「あみ」の読みが残っているのでしょうか。

さて、まず公園の外側の景色から始まりますが、外側に戸口を向けた防災倉庫があります。よく見ると屋根の上には植栽があって、上に登れるようです。

で、園内側から見てみると、このように大きな滑り台になっていました。
いちおう分類としては、盛土山遊具の亜種と捉えておきます。

建物内部がどうなっているのかはわからないのですが、おそらく滑り台のデッキに相当する部分だけが建物で、その壁に沿わせるように斜めに土を盛って、盛土の上に滑り台や植栽を整備しているのだろうと思います。

デッキの上から園内を眺めたところ。これで敷地のだいたい半分くらいが写っています。

また、大きなガケ滑り台だけでなく、黄色く長い滑り台、短いトンネル滑り台を左右に従えています。

さらに山の横にはブランコやスプリング遊具もあって、山全体が大きな複合遊具のようになっています。

山とは少し離れた場所で人気だったのは、なんとなくカタツムリを思わせるトンネル・パイプ遊具。
子供たちが入れ代わり立ち代わり遊んでいました。

園内の一角には、「碧翔」と名付けられたモニュメントもあります。
丁寧な解説板があるのですが、私としては、公園開設から45年という中途半端な時期にモニュメントが設置された理由を知りたいところです。
●現地の解説板より「碧翔」
この地域一帯は、中世から開かれ、江戸時代からは網代町の名称のもとにさかえたところですが、先の大戦により一面が焼け野原になってしまいました。
戦後、戦災復興の区画整理事業が行われ、昭和24年、この網代公園が誕生しました。
「少女」「不死鳥」「波」「雲」で構成されるこのモニュメントは愛と夢、そして生命あるすべてのものとの共生と合歓を希求し、碧空に翔び立とうとする少女と不死鳥をあらわしたものです。
この公園の誕生が戦災復興という当時の人々の夢の結晶であったことを思い起こし、見る人に安らぎを与え、人と人との交流を広げることを願ってこのモニュメントを制作したものです。

製作者 一色邦彦  1994年東京都港区

地区の夏祭りなども行なわれ、地域の方々に親しまれている網代公園でした。

(2017年8月訪問)

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